コンセプトとしての「船倉」

 syomuさんが、カルチュラル・タイフーンの懇親会の濃くて深い感じ(Deep Reef)を、

名瀬港まで二泊三日も時間がかかる船中では二等船室の至る所で酒盛りやおしゃべりが繰り広げられ、ゴロンと横になって聞こえてくる島口に、あの人のなまりは大島だな、あの人はバアさんの島口に近いから徳之島だな、ん?沖縄の人かね?などと想像をふくらませたり。船旅はあまりにも時間があるので、隣の人と二言三言話しているとどこかで知り合いが重なっていたり、親と昔付き合いがある人だったり、とそういう経験は二回や三回ではおさまりません。

思えば、私は小学校に入学する前の一番楽しい夢のあった幼い時間だけ島の空気を吸い、島の自然を見て、島の人と触れ合って過ごしたので、感傷的になり、島への感情がほとばしりがちなのかもしれません。

島に向かう船に揺られているようなそんな居心地の良さでパネルも懇親会も楽しませていただきました。(カルチュラル・タイフーン2009『薩摩侵攻/侵略400年を考える』

 と、書いているのを読んで、そうだ、あの Deep Reef クオリアは、黒潮づたいのあの、船の底に似ているのに気づいた。

  道之島といえばおりおり思い出すことがある。昭和十三年から十七年まで大島通いの上り船は名瀬港を夕方出航した。三等室船内の中央部の下は船倉になっていて夜は船倉の上を舞台にして、各島自慢の競演になった。
  与論島の人は沖縄民謡の「上り口説」、沖永良島の「永良部百合の花」、徳之島の「ちゆつきやり節」、大島の「野茶坊節」、喜界島の「池治長浜節」などつぎつぎ繰り出され、指笛の噺子で調子がますます高まる。
  大島各島上り船に乗っていた沖縄の中年の方が二人で「鳩間節」や「四季口説」を歌い踊った手ぶり口ぶりは忘れられない。
  船員の中には芸達者な人がいて三味線、片面太鼓を持ち出し、また洗面器の底をたたき、あるいは変装して踊る人気者もいた。
  「上り口説」、「下り口説」は音痴の私でさえ暗唱しおかしく歌えるが、道之島の部分だけ挙げてみる。

 上り口説(前を略す)

七、伊平屋立つ波押し添ひて

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2.与論・琉球弧を見つめて
2009/07/09



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