「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」1カルチュラル・タイフーンでの発表を掲載します。「奄美を語る会」での発表と重複するところも多いですが、語り口を変えたり考えをわずかながら進めたりしたところもあるので、ご容赦ください。
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喜山と申します。「やまといしゅぎり」はどうやって歌うんだろうと思っていたので、酒井さんが披露してくださった徳之島の島唄には大変、得をした気分でいます(笑)。ふだんはマーケティングをしていますが、与論島生れというバックグランドからこのテーマに関心を持ちます。
去年、同じ場で「アイヌ・奄美・沖縄-まつろわぬ民たちの系譜」というテーマをいただいたとき、アイヌ、沖縄はいざ知らず、奄美を「まつろわぬ民」と呼ぶのは無理があると思い、失語、自失つまり自己喪失がふさわしいのではないかと考え、そう言いました。今回、「奄美にとってこの400年とは何だったのか」と問われて、それについてぼくは、「存在しないかのような存在」になった時間であると言えるのではないかと考えました。
「存在しないかのような存在になった」。たとえば島尾敏雄が「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた」と1965年に言いましたが、それは「存在しないかのような存在」を意味していると捉えると合っているのではないかと思います。その起点は、奄美は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」と規定されたことにあります。それがこの所在ない感じの発端になっていると思います。この二重の疎外の契機になったのが、1609年であり、それ以降、長い時間をかけて、「奄美は琉球ではない、大和でもない」と規定されていきました。そして近代以降、それは一人ひとりの悩みになります。近代になってぼくたちは「個人」という概念を持って、他県、他地域の人と交流するようになりました。そうなって二重の疎外は個人の悩みになったわけです。
この悩みはどういえば、分かってもらえるだろうとよく考えるのですが、うまく言えた試しがないなあと考えあぐねるところで、思い出すのが、あの、「お国は?」と聞く、山之口獏の「会話」です。「お国は? と女が言った/さて、僕の国はどこなんだか、とにかく僕は煙草に火をつけるんだが」、前置きが長いんですが、それに対して「ずつとむかふ」と、答える、あの「会話」です。このあと、「南方」「亜熱帯」「赤道直下のあの近所」などと応えていくわけが、肝心の沖縄とは言えないままはぐらかします。この「会話」の場面は、琉球弧の島人は必ずどこかで出会っているという普遍的な詩だと思います。
この「会話」の
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