「奄美にとってこの400年は何だったのか?」を終えて

 昨日のカルチュラル・タイフーン、「奄美にとってこの400年は何だったのか?」を終えたが、思いの外、疲れていた。「奄美を語る会」の1/3の持ち時間と半分弱の人数にもかかわらず、倍の披露感がやってきた。どうしてかよく分からないが、仕事でやるセミナーと違って、自分の感情や思考を率直に吐露するので、エネルギーを遣うのには違いない。何というか、仕事のときに比べてはるかに無防備に自分をさらけ出している。

 それにしても、40名程の参加人数は少なかった。去年の仙台も、30名強はいたのだから、人口母体や400年というテーマからすれば、もっといてもおかしくなかったと思う。日曜の夕方、府中で、という時間と場所の条件の不利はあるだろうけれど、なんか悔しい、と柄にもなく思ってしまう。来るべきだなんて思わないけれど、400年といっても特異な関心事たらざるをえないんだろうか。八重山セッションの盛況を聞くと、なおさらである。ぼくはもっと多くの奄美への想いを知りたかった。

 まあ仕方ない。でもいらした方は濃い方揃いだったと思う。

 終わったあと、質問に来た方と二人で話した。名瀬出身でもう東京が長いそうなのだが。

 「今日のようなことは、教えてもらったことがないので全く知らなかった。鹿児島に謝罪や賠償を要求する動きはないのか。今日はそんな話が聞けると思って来たが全くなかったので残念だった。」

 ここまでストレートに考える方が東京にいるのか、と新鮮に驚いた。こういう、具体的な声をぼくはもっと聞きたい。

 パネラーの酒井さんも前利さんもぼくも、持ち時間20分を意識しながら、かなり圧縮した時間を刻まざるを得なかった。テーマや想いの大きさからすれば、短すぎるので、参加した方も消化する間もなく次から次へと大変だったと思う。3倍くらいの時間をかけて、参加者の一人ひとりの声をお聞きしながらやれたら、もっと充実感はあったと思う。

 ぼく個人は、

かしゅていしゃんてん誰が為どなりゆり、やまといしゅぎりやがためどなりゆる
(これほどまでに難儀苦労して働いたとて一体誰のためになるのだ、やまとの丁髷のためにしかならない)

 の唄を実際に聞けたのが、いちばんの収穫だった。


 しっかり宿題も受け取ったつもりでいる。それは今後、越えていけるように努めたい。奄美の生は無言のうちに濃くて深い想いを宿してる。それを口にできずに胸に秘めている人は少なくない。そうい

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42.400年
2009/07/06



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