わたしの奄美自立宣言奄美を自己紹介しようとすると、「鹿児島でもない沖縄でもない」と、つい言ってしまいます。どうしてこんな消去法の自己紹介になってしまうのでしょう。それはとても不思議なことです。しかし振り返ってみると、ぼくたちは少なくとも一世紀半もこの問いの前にたたずんできました。長きにわたってそうあり続けているのなら、そこには「奄美」が単に無名だからというだけではない理由があるはずです。
ここに立ち止まって考えてゆくと、そもそも奄美が消去法のような関係のなかに置かれてきたことに突き当たります。それは歴史的なもので、「鹿児島」を「大和」、「沖縄」を「琉球」と呼んだ時代に遡ります。ことの起こった順番にしたがえば、いまから四百年前にそれは始まり、「奄美は琉球ではない、大和でもない」とされてきたのでした。そこで、奄美は、島であり珊瑚礁であり似た文化を持つことを根拠にした「琉球」という共同性の言葉を失い、しかし、征服者であった薩摩には、「大和でもない」と交流を遮断されました。
どうしてなのか。薩摩は奄美を直轄領にしたことを幕府(日本)に内証にしたため、対外的に、「琉球は大和ではない」としたのと同様の規定を、奄美にも強いたのです。奄美は、同じ文化圏とのつながり無くしたばかりでなく、「隠された直接支配地」として「奄美は琉球ではない、大和でもない」と規定されたことにより、いわば空っぽになります。それは、奄美が存在しないかのような存在と化したことを意味しました。そこで奄美は、近世期は空っぽな共同体として、近代以降は空っぽな個人として生きたのです。
奄美の最良の紹介者だった作家の島尾敏雄は、「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた。本土から軽んじられると、だまってそれを受けてきた」(「奄美 日本の南島」)と書きました。ここにいう「値打ちのない島」ということも、「軽んじられる」ということも、自他ともに、奄美を存在しないかのように見なしてきたということに他なりません。消去法のような自己紹介にはこんな歴史的な背景があるのです。
奄美はこれまで、二重の疎外を「日本人」になることによって解消しようとしてきました。あの日本復帰運動のときに、それは頂点に達したでしょう。しかし、「日本人」になることによっては二重の疎外は解消されません。というより、「日本人」になることを、自分たちの文化を否定して行ったために、もともとの奄美が否定されたままであることには変わりなかったのです。二重の疎外が解消されていないということは、今も「鹿児島でもない沖縄でもない」という消去法の自己紹介になってしまうことが雄弁に物語っています。
二重の疎外は、依然としてわたしたちの課題なのです。
(1/2) 次»
コメント(2)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
プロフィール
このブログを友達に教える