シマが主役!奄美です。奄美の島々は、シマ(島)が世界であり宇宙であるという世界認識の原型を持ってきた。だから、「奄美」という抽象は育ちにくい。強いて言うなら、シマ(島)以上の抽象を許さない地域が「奄美」なのだ。広告コピーのようにすれば、
シマ(島)が主役!奄美です。
である。シマ(島)が豊穣な世界を持っているから、薩摩藩の直接支配のなか、大型船の製造を禁じられ、島に封じ込められて、奄美間、対琉球の交通がままならなくなっても琉球弧の文化を失わなかったのである。また、シマ(島)が基底にあるから、「奄美」という共同性を構築する必然性を持たなかったのだ。
これはアイヌも同じだったのではないだろうか。
コタンが主役!アイヌです。
こう、だろうか。
これまで、奄美とは何か、まわらぬ舌で書いてきた。すぐに分かる共通性が見当たらないので、「真珠とガラパゴス」として、高島から低島までの幅で言おうとしたことがある。最後に笑え(「奄美、この懐かしき島々」)と思ったこともある。奄美が無価値ではないことは、「もしも奄美がなかったら」と考えると自明なことが分かった。アイデンティティの構造から、「琉球と大和の二重意識」と見なしたりもした。この二重性こそは奄美だと考えると、それは珊瑚礁をメタファー(「奄美とは珊瑚礁である」)にすることもできる。
奄美をひと言で。尽きないテーマだ。
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