「苦労は売ってでもやめろ」

 去年、『しまぬゆ』を読んだ時、島役人の記述を、「勝者の論理に盲目的に服従する奴隷の精神とは異質な敗者の論理を構築して昇華しようとしたのである」と解していることに強い異和感を覚え、それは敗者なのに勝者の思考に自らの思考を預けた屈服の論理に他ならないと考えました。そして必要なのは、敗者の論理なのではなく、「負けない論理」ではないかと書きました。

 ぼくはそこで、奄美の「負けない論理」をつくることは、『しまぬゆ』から受け取る課題だと書いたので、ずっとそのことは念頭を去らずにいます。奄美の「負けない論理」とは何だろう。

 ところで、「ほぼ日刊イトイ新聞」で2月に、「さんまシステム」と題したインタビュー記事が載ったことがあります。さんまシステムというのは、あの明石家さんまのことです。

 文脈は省きますが、彼はそこで、「苦労は売ってでもやめろ」と言うのです。

苦労は売ってでもやめろ

 ああ、と思いました。これって、負けない論理じゃないかって。ふつう、「苦労は買ってでもしろ」といいます。で、「苦労は売ってでもやめろ」というのは、それを全部ひっくり返しているわけです。苦労は売れ、苦労はするな、と。いつものあの口調で(たぶん)。でもさんまはそれをお笑いのネタとして言っているのではありません。読む限り、大真面目に、「苦労は売ってでもやめろ」と、そう言うのです。

 これは、反語的なのでもなくレトリックなのでもなく、言ってみれば、ことわざを温故知新で臨み現在化した、いまのことわざなんじゃないでしょうか。いまどきのハードさを乗り切るためのコトワザです。

 その心は、と書くのは野暮な気もするし、気の利いたことも書けそうにないのですが、「負けない論理」に近づけるようにしていえば、こんな風に思います。「苦労は買ってでもしろ」というのは、「苦労」は買わないとやってこないかのような錯覚を与えるけれど、そんなものじゃない。望もうが望むまいが向こうから勝手にやってくる。平気にやってく

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21.道州制考
2008/04/08



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