奄美への接近 2007島尾ミホ、逝く
三月、島尾ミホが他界した。近代奄美最大の文学者の死だった。
たとえば、『海辺の生と死』の「洗骨」は、洗骨が生と死の境界を緩和する親和と畏怖に満ちた儀式であることが叙情的に描かれている。それだけでも充分だけれど、作品は、人類史がどこかで経験してきたに違いない普遍性に手を届かせていて、改葬を知らない人の心も動かす。ぼくもまたそのように感じる読者の一人だが、習俗の内側にいる者としては、ともすると好奇の目に晒されてきた洗骨を、ふつうに人に伝えられるものにしてくれた。そういう励ましもこの作品から受け取ってきたのだ。この作品を想いながら、十一月、ぼくも祖父を洗骨した。
他界の少し前に、島尾敏雄の日記、『「死の棘」日記』を読み、「棘」の時期の「やわらかさ」に心奪われた。治癒とは健常者が病者に、健常を伝えることではない。病者を前にうろたえる健常者が思い余って病者に近づく。そのところで、病者は我に返るように健常者に戻る。健常者は病者であり、病者は健常者である。そんな交換を幾度もいくども繰り返すことのうちに、治癒はそれと知れることなく訪れている。そんな過程が綴られていた。ぼくは、人を救うとはその人と徹底的に付き合うことだ。たしか、詩人、鮎川信夫のそんな言葉の実例を見る思いだった。やわらかさの印象は、友情としてもあった。批評家、奥野健男と吉本隆明と同席の場面。
奥野が吉本に今一番興味のある作家は? 武田泰淳?ときくと吉本、ぼくを指さす。 たったこれだけの日記の一節にも、島尾がどんな励ましを受け取ったか、伝わってくる。
島尾ミホは、「刊行に寄せて」、こう書いている。
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