地名への接近 2007沖の島としての琉球弧
2007年は、何といっても図らずも、地名に夢中になってしまった。
去年の暮れ、琉球弧の島名の呼称を声に出して読んでみたとき、パティルマ、カキルマと言ってみて、あれ、「加計呂麻は波照間?」じゃないかと思ったのがきっかけだった。波照間島と加計呂麻島は地名として同じだ。そして金関丈夫の仮説通り、パティルマが「沖の島」の意味だとすれば、加計呂麻島も沖の島だ。そう考えると、確かに、加計呂麻島は奄美大島の「沖の島」だった。
この発見が面白くて、南島地名研究センターの『地名を歩く』をむさぼるように読み、『南島の地名』の資料を求めて国会図書館に通い、地名自体の資料を見たいと「地名資料室」に出かけ、あっという間に地名オタクが一丁、出来上がってしまった。
地名は、琉球弧の基層と上層を明らかにしたいというぼくのモチーフにもぴったり合うテーマだった。基層を明らかにするのに、費用や在住が必須ではなく、徒手空拳で立ち向かえるのが地名という素材で、ぼくのような在野の立場でも接近可能なのがありがたい。もっとも、地名研究には必須と言われるフィールド・ワーク欠乏症ではあるのだけれど。
そうやって探求していくと、「沖の島」は、波照間島、加計呂麻島だけではなく、鳩間島、多良間島、来間島、慶良間諸島も、同じ「沖の島」だと気づいた。気づいたというのは無論、ぼくが仮説したというに過ぎないが、ここから、「沖の島」の流れとしての琉球弧という視点を得ることができたと思っている。
もう少し言えば、平安時代の歌人、藤原公任の作として、
おぼつかな うるまの島の人なれやの歌が取り上げられ、沖縄でウルマという語を扱う
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