再会と別れと-21世紀の洗骨夜明け前、寺崎の端の東の空が、
そこだけ赤紫に染まる頃、
ぼくは改葬する一人に加わらせてもらった。
ガンプタを取り、寺崎の白砂を丁寧に取り除いてゆくと、
棺が現れる。よかった、崩れていなかった。
棺が開かれると、
そこには亡き、祖父がいた。
いや、亡き、というのは本当は正確ではない。
棺を開ける前に、それは揺さぶられて、
祖父に、これからチュラクナシをすると告げるのだ。
頭から取り上げて、洗骨を行う。
白砂を除くのも洗骨をするのも、
まずは祖父が愛した子どもたち、
ぼくのウジャンカ、ウバンカたちだった。
チュラクナシをすると、祖父のきれいになった頭が現れた。
瞬間、祖父の顔がそこに蘇る。
ぼくも少し抱かせてもらった。
初孫として抱いてもらったぼくが、
祖父を抱くのは、当たり前のことだが初めてのことだった。
ぼくは、懐かしい優しい気持ちに浸ることができた。
そこにいる誰もがそう感じているように、
祖父は亡くなった人ではなく、
その瞬間そこにいて、再会を喜んでいるのだった。
チュラクナシしながら従弟は、
洗っているとき、水が温かかったと話していた。
そうだと思う。
再会を果たしたあと、
祖父のチュラクナシを直接していない孫娘が
もっと前に亡くなった祖母の頭を拭いてあげる。
考えてみれば、祖父と祖母は、
三十二年ぶりに寄り添うことができる。
そんな再会の場でもあることに気づいた。
改めて納骨したとき、
祖父の身体イメージはまた少し希薄化してゆく気がした。
再会のあとの、お別れだ。
そして寺崎の海が輝き始めるころ、
ガンプタのあった白砂を地ならしして、
一行は寺崎を後にした。
○ ○ ○
ぼくはといえば、
小さいころ、祖母の死に目にも葬儀にも立ち会えず、
祖父の危篤には駆けつけられたものの、
葬儀には行けなかった積年の心残りを果たすことができて、
ほっとしている。
こんなに優しい行いも、
都市化によるパラジ関係の希薄化と個人化の進展で、
火葬場が生まれ、いまや島人の9割は火葬を選択し、
チュラクナシは急激に行われなくなろうとしている。
冠婚葬祭の負担が厳しいからと近代用語は説明するが、
本当は、
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