負けない論理『しまぬゆ』は、薩摩と琉球による支配を等価とみなし、
それ以前の奄美に対して、肯定的評価をくだす。
古代・中世の奄美人達は海洋民族として広範囲にわたって
交易を展開し、高い文化を持ち、豊かな生活を営み、
おおらかで勇壮な歴史を持っていた。
しかし、これでは古代・中世に
「おおらかさ」と自由を仮託しすぎである。
ぼくもある意味で、奄美の誇るべきは、
その古代性にあると捉えてきた。
古代の世界観は、いまのぼくたちが未来を展望するときに、
近代が殺ぎ落としてきた大切なものへの手がかりを持っていると
思えるからだ。
『しまぬゆ』の「奄美人の目」は、
古代・中世に「おおらかさ」と自由を見る。
でもそれは、回顧にとどまり、
そこから未来的なビジョンを取り出せない。
○ ○ ○
結果、『しまぬゆ』の視点は、
勝者の論理に寄り添ってしまっている。
勝者の論理でしかない歴史を、
「奄美人の目」で記述しなおす。
それが「しまぬゆ」の志であったはずだ。
しかし、奄美をかばう根拠を抽出できない分、
著者たちは、奄美・琉球にダメ出しをするのだけれど、
その論拠が、限りなく勝者の論理になってゆくのである。
あの、「大島代官記」の記述のように。
勝者の論理に擦り寄ることはない。
もとより、そんなことをしては奄美は救われない。
奄美は勝者から見れば敗者である。
しかし、「奄美人の目」は、敗者に目をつぶって
勝者の論理を身につけ欺瞞するのではなく、
かといって敗者の論理に身を委ねるのではない。
何の論理か。
「負けない論理」、である。
「負けない論理」をつくる。
負けない「しまぬゆ」をつくるのである。
それが、『しまぬゆ』から受け取る課題だ。
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