バレリーナが「鼠」だった頃の「スポーツ選手並みのカラダとテクニックの上に、精神力、容姿まで要求される、最高に厳しい芸術」
「なまじ、美術界に足つっこんでた私達ですから」
「もうアタマあがんない訳なのよね」
「ダンサーを観るにつけ、自分のぬるさ再確認っつか、ごめん、ワタシの表現なんて自己満足だった! と」
「美を表現する人間がどれほどまでに厳しいところで闘っているのかとね‥‥」
☆
美のために、舞台の一瞬の輝きのためだけに、すべてを犠牲にするバレリーナたち(会話の引用はこちらから)、だがバレエがそんな「芸術」として確立するのは20世紀に入ってからのことだ。正確には1909年。5月。オペラ座でのバレエ公演を拒絶した(!)傲慢なパリとその市民は、古びたシャトレ劇場に舞い降りた両性具有の天使の足許に平伏すことになる。
ヴァツラフ・ニジンスキー。
「天才の蒐集家」と呼ばれたバレエ・リュッスのオーナー、ディアギレフの秘蔵っ子である。彼がパリに進出して以来、伝統的な芸術とバレエの世界は一変し、二度と元に戻ることはなかったが、中性的な魅力を持つ男性ダンサーを前面に押し出したバレエ・リュッスの公演が「総合芸術」として大きな話題となった、その影で、未だバレリーナは「鼠」と蔑まれ、下層の貴族や成り上がりのブルジョワジーの好色な視線に曝される存在だったのだ。
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