僕の世界アメリカが世界なのか僕は知らない。フランスが世界なのか僕は知らない。
ここが世界の中心なのか裏側なのか、だからよくわからない。僕は僕の今いる場所と、場所のルールと場所が押しつけてくる義務を激しく嫌悪しているが、ここがどこなのか、それは知らない。
周囲の環境に満足している人間は、自覚的な知を放棄することによって周囲の環境、そのものからは隔てられている。場違いなところにいるような気になって、取り巻くものすべてを憎むようになった小学校6年生のころ、ようやく僕の中にも、ひとつの「世界」が形づくられるようになった。
つまりそれを必要とするようになった、ということだ。
☆
たとえば翻訳で読むアメリカやフランスの小説、それは「世界」であり、「今」だった。戦前に書かれたはずの小説が、現代に生きる僕の抱える苛立ちや何かを、そのまま描き出したものであることに僕は強く衝撃を受けた。時間的にも空間的にも遠く自分と隔てられたそれに、距離、を感じなかったのだ。
それで僕はムルソーを、ヴィンセントをヘンリーを当然の権利のように欲した。描かれた「ぼく」になりたかったがぼくは僕のことなど、どうでもいいと思っているようでひどく不愉快だった。
いつか僕はぼくになって、僕のことをどうでもいいと思ってやる(!)。この日記を始めたいちばんの動機でもあるが、いささか倒錯した決意を、本を読むたび僕は「世界」に対して抱いたのだ。
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