水モノ映画いまやハリウッドのタイクーンは女好きで親分肌のガハハ親父タイプは少なく、タランティーノやピーター・ジャクソン、サム・ライミなんてオタクばかりが目に付く。文学や芸術映画という高級料理でなく、コミックやB級映画というジャンクフードで育ったオタク監督たちが作る映画は社会性や歴史観より、サブカルチャーに対する自己言及が優先されるのが特徴的。そんなオタク監督の地金が当初なかなか分かり難かったのがM・ナイト・シャマラン。この人の映画は、いわば芸術映画の手法で撮られた、B級映画。不安を惹起する絢爛たる映像・演出テクニックと描かれる題材の下らなさのギャップが面白い「アンブレイカブル」や「サイン」は好きな映画だけど、映画全体が思わせぶりなだけの「ビレッジ」まで行くとお手上げである。「ビレッジ」は眠気ばかりを誘う作品の出来は勿論、「謎解きの大ネタ自体が過去作のパクリだ」と轟々たる非難を浴び、批評的にも興行的にも惨敗した。ま私もひどい映画だと思いました。意外に引き出しが少なく世間に飽きられ出したシャマラン監督だが、新作「レディ・イン・ザ・ウオーター」の予告編は期待をあおりまくる素晴らしいものだった。プールに住んでる幽霊が泳いでいる人を襲っていく怪奇映画だと思ってたのだが、いざ見てみると、ポール・ジアマッティが管理人してるアパートのプールから突然水の妖精が出てきて、住人が総出で彼女を妖精の世界に帰そうと奮闘するという物語であった。ホラー映画を期待してたこちらはがっくり肩透かしで、しかも物語がはっきりとご都合主義で生ぬるいことこの上ない。全然中性的でも神秘的でもない水の妖精(終始半病人みたいで見ててイライラする)の名前はご丁寧にも「ストーリー」で、どうもシャマラン氏は妖精を信じるイノセンスや「物語=おとぎ話」を守ることの大事さを訴えてるようである。劇中ご丁寧にも、揚げ足取りばっかりしてる映画評論家が地獄の番犬に食い殺されるシーンまである。批評家に自作のご都合主義や幼稚さを批判されたことに相当立腹してたのであろうことは伝わってくるが、作り手の「俺は物語を語ってる特別な人間なんだ!ゴチャゴチャ批判しないで出されたもん黙って見てろよ」という特権意識にはゲンナリ。そもそも「ストーリーを語ることの重要性」を「『ストーリー』という名前の妖精を守る」という物語で訴える安易さが、「ストーリーを語る」ことの否定になっている間抜けさにまず気付くべきなのでは?貧困な物語で「物語ることの重要性」を訴えても伝わりますまい。シャマラン監督は自身ストーリーテラーだと自負されているのかもしれませんが、出来た作品は明らかに批評的で分析的。なんともアンビバレントで残念な出来であります。
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