「足利事件」の菅家さん釈放と「裁判員制度」日本でまさに“裁判員制度”が開始されようとするこの時期に菅家さん釈放、様々な問題を投げかけているように感じます。
「疑わしきは罰せず」刑事裁判の原則だそうです。
ラテン語の直訳は「疑わしきは被告人の利益に」とも言うそうです。
裁判員に選ばれたら肝に銘じておきたい言葉ですね。
完全な人間なんていません。
人間は故意、故意でなしにかかわらず、過ちを犯す可能性のある存在です。
不完全な人間が、人を裁く。
しかも裁判官のように学校で司法の勉強をしたことのない一般の人が、ある日突然、裁判員になるのです。
「疑わしきは罰せず」
それでは罪を犯した者が得をするとか、被害者の立場はどうなるのか、と思う方がいるかもしれません。
老子の言葉に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」
“天の張る網は、広大で一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。即ち天道は厳正で、悪事を行えば早晩必ず捕らえられ、天罰をこうむる”とあります。
日本でも一頃まではお年寄りが「お天道様(オテントウサマ)が見ているよ」とよく言っていたものです。
“人の目は、見える所でしか判断しないけど、お天道さまは、陰日向(かげひなた)なくすべて見透かしている。だから、悪いことはしてはいけない。必ずした事の報いは返ってくる”と。
何も法治国家を止めて、全てを天に任せましょう、と言っているわけではありません。
ただ人智を尽くして検証しても、それでも疑がわしい時、後は天に任せよう。
そんな思いに至った時、検察、弁護団、被害者、マスコミ等の誰の側にも巻き込まれず、正しい判断に少しでも近づけるかもしれないと、思ったりします。
罪を犯した人を、裁くのは当然のことです。
でもその過程で、冤罪を生み出すような事があっては決してなりません。
人間は全ての事に白黒をつけられる程完全ではない。
そして人間が研究したものは、DNA鑑定も含めて、可なり正確なのでしょうが、完璧ではないはずです。
「裁判員制度」“疑わしきは罰せず”“人間は完全ではない” この2の事を、常に頭に置きながら謙虚な姿勢で臨める環境が創られることを願っています。
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