目黒・行人坂の大火と長谷川組(4)「火つけ犯人らしい所化(しょけ 修行僧)を捕えたことは、一言も洩らしてはならぬ」
火盗改メ・助役(すけやく)の長谷川平蔵宣雄(のぶお 54歳 400石)が、組下の者はもとより、大手柄の〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 42歳)元締、火元の大円寺の住持をはじめ、一同に厳命した。
「洩らした者は、ご公儀に対する反逆の噂を広めた科(かど)で、遠島ではすまさない」
こう言ったときの宣雄の目はつりあがっていた。
もちろん、銕三郎(てつさぶろう 27歳)には、父・宣雄の危惧は痛いほど通じていた。
家を焼かれた者たちが、放火犯が捕縛されていると知れば、徒党を組んで私刑をくわえに押しよせる。
火盗改メの長谷川組の与力5人、同心30名では、とても防ぎきれない。
それでも大事をとった宣雄は、〔愛宕下〕の伸蔵に言いつけ、浜松町の町会所の町(ちょう)役人や書役(しょやく)を監視させるとともに、あの僧は調べた結果、かかわりないとわかったので放免したという噂を、ひそひそとながさせた。
その一方で、銕三郎の下僕の松造(まつぞう 21歳)の頭を丸め、長五郎が着ていた高位の僧衣を着せ、網代笠(あじろがさ)をかぶらせて、別の町を4,5日徘徊させるという念のいれようであった。
ことの経緯は、この明和9年(1772)の1月から3万石に加増されて正式老中に昇格していた田沼主殿頭意次(おきつぐ 54歳)には、こっそりと報告してあった。
意次は、配慮を忘れなかった。
「月番若年寄・加納遠江守久堅(ひさかた 62歳 伊勢・八田藩主 1万石)侯からあがるようになされよ」
幕閣たちは、それどころではなかった。
1000家を越す幕臣の家が焼失したのである。
町方の商家や職人の困窮もなみではなかったが、幕臣のそれは、幕府の威厳にかかわることだから、金蔵を空にしてでも再建資金を貸しあたえないわけにはいかなかった。
『風俗画報 臨時増刊 江戸の華 中編』
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