目黒・行人坂の大火と長谷川組

「ゆうべの、空を飛んだ光ものはなんだ?」
「品川浦から亀有のほうへ流れるように走った」
明和9年2月29日の早朝から、南西の烈風が吹きまくるなか、井戸端での話題は、昨夜の不可思議な現象にあつまった。
その光りものは坤(ひつじさる 南々西)から、艮(うしとら 北東)へ江戸の夜空を横ぎっていった。
「なにかの前兆でなければいいが---」
「今朝の、このお天道(てんとう)さまの翳(かげり 黄砂?)とも、かかわりがあるのだろうか?」

この年の2月29日は、現行の4月1日にあたる。
暗いうちからの烈風は、土ぼこりを舞いあがらせて天をおおい、太陽をさえぎり、五ッ(午前8時)だというのに、江戸の町はうすぐらかった。

町人たちの予想はあたり、大不祥事が江戸の町を襲ったのである。

目黒・行人坂の大火がそれである。

火元は、行人坂の中腹の天台宗・大円寺(現・目黒区下目黒1丁目)であった。
正午前後に出火し、おりからの強風に炎が狂ったように走った。
その惨禍は、白金の町々から麻布一円、三田新網町辺、狸穴(まみあな)、飯倉市兵衛町なだれ、霊南坂、西久保、桜田、霞ヶ関、虎門、日比谷門、馬場先門、桜田門、和田倉門、伝奏屋敷、幕府評定所、常盤橋門、神田橋門を焼き落とした。
火炎はさらに、日本橋通り3、4丁目西側、元四日町、万(よろず)町の西河岸から南伝馬町の商家および牢獄、を軒なみ、
内外神田、神田明神社、聖堂、湯島天神とその周辺一帯、上野広小路、下谷、御徒町、入谷、金杉、三ノ輪、小塚原、吉原、千住となめた。


(江戸の火事 『風俗画報』明治32年1月25日号より)

ものの本によると、焼失したのは、934町、大名屋敷169、橋170、寺院382、死者14,700人余、行方不明4,
600人余。幕臣の家屋の全焼も1000戸を軽くこしたろう。 

のち、江戸の3大火の一つに数えられた。

もちろん、本所、深川へは飛び火しなかったから、

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003長谷川備中守宣雄
2009/07/02




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