黒田三郎の2つの「道」

詩人・黒田三郎の作品に2つの「道」とタイトルのつけられた詩がある。
一つは、戦前の少年期から青年期にかけての作品を集めた「失われた墓碑銘」という詩集にあり、もう一つは、戦後すぐの作品を集めた「時代の囚人」という詩集におさめられている。

ぼくは、8月、つまり終戦記念日の頃になると、この2つの詩を思い出す。黒田は、1919年の生まれというから、終戦の頃は20代の半ばということになる。大雑把に考えて、前者の「道」は10代の終わりから20代はじめ頃の、後者は20代後半の独身青年の頃の作品と考えていいのだろう。

最初の「道」は、こんな作品である。


 道はどこへでも通じている 美しい伯母様の家へゆく
道 海へゆく道 刑務所へゆく道 どこへも通じていな
い道なんてあるだろうか
 それなのに いつも道は僕の部屋から僕の部屋に通じ
ているだけなのである 群衆の中を歩きつかれて 少年
は帰ってくる


美しい詩だが、これは「佳作」というところだろう。だが、これを次の「道」と合わせて読んでみると、味わいが深まってくる。忘れがたい作品になる。両者の間には「戦争」という暗く深い時間の塊りが横たわっている。


道それは美しい伯母様の家へ行く道であった
それは木いちごの実る森へ行く道であった
それは夕暮ひそかに電話をかけに行く道であった
崩れ落ちた町のなかに
道だけが昔ながらに残っている

いそがしげに過ぎていく見知らぬひとびとよ
それぞれがそれぞれの中に違った心をもって
それぞれの行先に消えてゆくなかに
僕は一個の荷物のように置き去られて
僕は僕に与えられた自由を思い出す

右に行くのも左に行くのも今は僕の自由である
戦い敗れた故国に帰り
すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち
今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である

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読めば明るくなる詩
2006/08/05




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