江戸のたそがれ-天保期のスーパー才女-<江戸時代>
江戸期は260年余り続いた。この時代は鎖国体制を敷き、朱子学を中心とした儒教の教えが日本人の行動を律し、およそ科学的、合理的な思考は発達しなかったように思いがちであるが、それは認識不足であり天文学の麻田剛立や数学の関孝和のような優れた人材が出たことは、伊能忠敬を主題にした以前のウェブログでも触れた。
中村士氏の「江戸の天文学者 星空を翔ける」(技術評論社刊)を拝読すると、律令時代の陰陽道(占い術)としてスタートした日本の天文学が、江戸時代になって科学に脱皮していく過程がよく分かる。京都西陣に陰陽師、安倍晴明を祀る晴明神社があるが、その子孫が土御門家を名乗り江戸時代まで暦編纂の家柄として続いた。
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晴明神社(提灯に五芒星シンボルマーク) 陰陽博士安倍晴明公居館之跡
日本の暦は9世紀に中国の宣明暦を輸入して以来、800年以上使い続けられた。本家の中国ではその後も改暦が繰り返されたが、日本では菅原道真が遣唐使の派遣を中止したため新たな暦法が入ってこなかったからという。このため江戸期の太平の世に入ると日食や月食の予報の誤りがたびたび指摘されるようになった。
1684(貞享1)年になって渋川春海が科学的観測と中国の最新の暦法に基く貞享暦を作って初代天文方になり、徳川幕府が編暦の実権を京都朝廷から奪った。関孝和もこの時期に中国暦の理論を研究し、渋川春海でさえ理解できない理論を孝和のみは理解していたという。
江戸時代には享保、寛政、天保の3大改革があったと学校の歴史で習う。これらの改革は財政改革だけではなく、改暦を伴うこともあった。つまり当時の先端科学を取り入れて日食や月食をよく予測する新しい暦を公布することは、天下に号令することであり威信を
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