上野と滋賀と天海大僧正<東京上野の滋賀ゆかりの地>
以前このウェブログで、東京の上野は、天海大僧正が不忍池を琵琶湖にみたてて、弁財天のある竹生島になぞらえて弁天島(中之島)を築き、竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請して弁天堂を作ったことから、滋賀ゆかりの地であることに触れた。
上野にはもう1箇所、滋賀ゆかりの地があった。滋賀県草津市に今もある芦浦観音寺の歴代住持は、13代目朝舜のときに徳川幕府の中央集権化の方針により琵琶湖の代官や船奉行職を罷免されて、江戸の東叡山寛永寺明王院の住持を兼住することになり、そのまま明治維新を迎えたとのことで、このウェブログの「再び湖南の芦浦観音寺」で触れた。
そこで滋賀県在住者としては、滋賀ゆかりの明王院を一度訪ねて見たいと思っていたが、現在の上野の地図には明王院という寺院は見当たらない。谷中霊園の近くに明王院があるが真言宗の寺院であり、天台宗の寛永寺とは関係なさそうである。だいたい寛永寺自体が明治維新当時の上野戦争で焼失しているので、江戸時代に存在した寺院があるのかどうかも定かでない。
と、半ば諦めていたが、2008年9月6日に上野公園を散策する機会があったので、東叡山寛永寺明王院のことを少し探って見ることとした。といっても手がかりがある訳でなく、まずは東叡山寛永寺開山の慈眼大師(天海)と、天海が崇敬していた慈恵大師(良源)の両大師を祀る、両大師堂を訪れてみた。
<両大師堂>
慈恵大師良源(912
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