小山評定<小山評定>
広辞苑によれば、「評定」とは評議して決めること、とあり、結論の出る会議のことをいうようである。歴史上に出てくる評定の中では、「小田原評定」と「小山評定」が有名である。両者は全く正反対の評定であった。「小田原評定」は、無意味な議論ばかりして結論の出なかった評定として有名であり、「小山評定」は、徳川家康が練りに練って仕切り、日本の歴史を変えた評定として有名である。
2003年の6月から、栃木県小山市の会社にお世話になり、月一回小山を訪問することになった。合間を縫って、小山評定ゆかりの地を訪れてみた。新幹線小山駅西口からさして遠くない所に、小山市役所がある。その横に少し広い丘があり、ここが小山評定の開かれた地とされる。
1600年に、会津の上杉景勝討伐に向かった徳川家康は、小山で石田三成挙兵の報を受け、軍議を開いた。この軍議を小山評定といい、家康は、従軍した福島正則らの豊臣恩顧の諸将の協力をとりつけて、後日の関が原合戦勝利の布石を打った。豊臣政権から徳川政権へ歴史の流れを変えた評定という訳である。
この故事にちなみ、二代将軍徳川秀忠がこの地に小山御殿を建て、1622年~1682年の60年間、将軍家の日光東照宮参拝時の休憩所とした。もちろん今は御殿の面
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