大津市膳所出身のピアニスト-久野 久-京都からJRびわこ線で東に向かい、東山、逢坂山の二つのトンネルを抜けると、大津、次が膳所(ぜぜ)である。車窓から琵琶湖が見える美しい地域であり、沿線には滋賀県庁や膳所藩の藩校「遵義堂」の流れを汲む膳所高校などがあり、滋賀県の行政や文教の中心地である。
ここ膳所の地からは、明治から大正にかけて日本を代表するピアニストとして活躍した久野 久(くの ひさ)と、このウェブログ「杉浦重剛誕生の地-大津市膳所-」で触れた教育家、杉浦重剛(すぎうらしげたけ)が輩出している。
大津市膳所生まれの2人のお墓が、奇しくも同じ東京小石川の伝通院の墓地にある。冒頭写真のように、久野 久の墓碑には同時期の美術学校生だった彫刻家朝倉文夫によるハープをかたどった石碑が刻まれている。
<久野 久のこと>
久野 久(くの ひさ)のことは、中村紘子さんの名エッセイ「ピアニストという蛮族がいる」でその存在を知った。中村紘子さんのエッセイが出たのは1992年(平成4年)であるから、かれこれ15年ほど前に大津市内の本屋で見つけて買って読み、久野 久という、大津の膳所で生まれ最後はウィーンで自殺した日本のピアニストの先駆者に強い印象をもっていた。
中村紘子さんのエッセイから、久野 久に実際にピアノを習ったことのある作家宮本百合子が、女性解放の文学の最高傑作といわれる「道標」に彼女を描いているということも知った。
宮本百合子が戦時の獄中時代に罹った熱射病の後遺症を抱えながら、1947-1950(昭和22-25)年に完成させた「道標」の、第二部に久野 久は川辺みさ子という名前で登場し、宮本百合子自身は伸子という名前で登場している。「道標」完結3ヵ月後の1951(昭和26)年1月に宮
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