自分探しはおやめなさい

ひさしぶりにうめぞう、いや、うめじいです。

自転車操業の日々が続いていて、なかなかブログを書く余裕がない。先週は還暦を迎え、自分の実家でささやかな祝い。これを機に、まつ子はうめぞうを「うめじい」と呼ぶようになった。はたしてこれがめでたいことなのか・・・

今週は従者としてまつ子の実家に帰省。久しぶりにのんびりと週末を過ごしている。男女の格差は昔と比べるとずいぶん縮まった。しかもまつ子はわが上官だ。とはいえムコという立場はそれを補ってあまりあるほど圧倒的に有利だ。ヨメという立場とはまったく違う。いわゆる非対称性が厳然と存在する。ヨメはどちらの実家でも台所に立たねばならないとついつい感じてしまう。ムコは台所に入ると即座に追い払われる。座敷で仕事をしていても罪意識はまったくない。それどころか1時間に1度、茶菓が運ばれてくる。自宅ではとてもこうはいかない。うめじいには、まずは理想的環境といえる。母君はたしかに物の名前などは出てこなくなり、独り言が多くなった。でも今のところ、表情はおだやかで、笑顔もよく見られる。もともとバカボン系のうめじいには物の名前などたいした問題ではない。タイがヒラメでも、キュウリがナスでも、人間、笑って過ごせれば「それでいいのだ」!

ところで最近よく「自分探し」という言葉を耳にする。2年ほど前には「自分探しの哲学」なる本も出た。その副題には「ほんとうの自分」と「生きる意味」と書かれていた。昨年には、自分探しに伴うさまざまなリスクについて警告した「自分探しが止まらない」という本も出版されている。

自分でも知らない「ほんとうの自分」がどこかに存在しているはずだ。それを探し当てて、本当の自分に出会うことこそが生きる意味だ ― この考え方は哲学史的に、なかなか面白い問題を含んでいる。

「本当の自分」というときの「本当」とはどういう意味か。

これには大きく分けて二つの系譜がある。ひとつは他者に対して嘘をつかないという意味での「正直さ」「誠実さ」だ。ドイツ語ではAufrichtigkeit(アウフリヒティヒカイト)、英語ならsincerity(シンシアリティ)という言葉になる。そういえばシンシアリー・ユアーズは、英語の手紙の末尾に書く言葉として、うめじいも中学生の時に習ったことがある。裏腹なく、心の底から私はあなたのもの、ということだろうか。

これに対してもう一つの系譜は、他者に嘘をつかないというのではない。自分自身を心の奥底で動かしているものをそのまま表現するという意味での「真正さ」だ。これはドイツ語でも英語でも同じ語系でAuthentizität(アウテンティツィテート)/authenticity(オーセンティシティ

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哲学
2009/07/11



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