かなり久々「本気の神頼み」割と好きなタイプだからさ、カオスとか偶発とか運命論とかが。寺社仏閣巡りは嫌いじゃないけど、本気で「お願い」するって滅多に無いんですよ。だけど先週の金曜日だけはチラリ頼みましたね、都合が良いのは承知で「演劇の神様」みたいな存在に。何となく西の方角、鈴鹿山脈の夕陽に向かって……。翌土曜日が、一応僕の書き下ろし最新作にあたる「僕らの玉手箱」の発表会となってた6日の金曜日、その日の授業を全て芝居に傾け、午後のゲネプロに向けて「きっかけ稽古」をしていたのは、僕と劇団員と長岡小学校6年生全員の28人。主役の男子が顔色悪いので聞いてみたら、37度9分の熱がある。10日ほど前に家族が新型インフルに掛かっていて、時期的にも微妙な感じ。何とか中止は避けたい学校側からは「とりあえず今日は頑張らせて、夜医者で新型と判明したら代役で行きましょう」という提案。もちろんこれには「NO」を宣告。もし代役を立てるなら午後のゲネはもちろん、今の今から新キャストで稽古し直さないと間にあうわけが無い。「芝居をなめてはいけません」。なるべく穏やかな口調で諭し、ゲネはこのまま進め、もし夜にインフルエンザと判明したら即中止決定、各関係者にその情報を送る…と腹をくくる。なにせ児童28人全員に個性とセリフを書き下ろし、コロスを極力なくした芝居だから、ダブルキャスト的な発想でも逃げられない。でも、でもね、主役の彼の若い命や仲間への感染を乗り越えてまでやるべきモノではないのだよ、演劇は。親の死に目にはあえなくても仕方ない、大人が自分の生命を掛けて立つのも良いだろう。でも、舞台自体が子供の健康を逆手にとってはいけないのだ。全ては夜の「医者の判断」に任せる事を再確認して、いざ、ゲネプロを行う。いい出来なんだよね、こういう時って。もちろん子供達には「決断」の詳しい内容は話してないから、明日の本番を信じてみな目を輝かせている。僕は「これで見納めかもね」と思いながら、ちゃんとダメ出しをして、本番前日の心得も話して解散。次の仕事に向かいつつ、西陽に祈りながら「そうだ。もし明日中止になっても、3月までにどこかで発表させてやろう、完全ボランティアで構わないから」と新たに決意。その殊勝さが良かったのか、夜になって先生から「インフルエンザではありませんでした」との報。翌日は神様にお礼を言う暇もなく、開演の準備。本番は、流石にミスも多く、ゲネの方が数倍いい出来だった事に苦笑いしながらも「舞台の幕がちゃんと開くシアワセ」を初めて実感するはめに。聞けばその主役の少年、インフルエンザではなかったものの、夜は熱が9度を越し、朝には解熱の座薬を使うも熱が引かず、かなりフラフラしながらこなしたらしい。ついつい「インフルか否か」にだけ囚われていたが、周りの大人たちが「良かった良かった」と言ってる中、彼だけは「どこがいいんだよぉ…」と結構キツ
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