本日の「怒」090703/外交の機密と国民の不信とは別問題だ/核「密約」問題に思う
元外務事務次官の村田良平氏が、長い間議論になっていた「日米核密約」の存在を認めました。
ご存じない方のために、簡単におさらいをしておきます。
戦後、日本が占領下から独立する時に、日本はアメリカとの同盟を選択しました。結果として結ばれたものが日米安全保障条約(「安保」と略します)です。日本は冷戦体制の中でアメリカを中心とした「西側」の軍事同盟の中に組み込まれ、1954年には自衛隊も発足しました。
こうした中で、1950年代から日本にはアメリカの艦船によって核兵器が常態的に持ち込まれていました。考えてみれば当たり前のことですが、核兵器を積んだアメリカの軍艦が日本に寄港するたびに核兵器を「下ろして」くるような面倒なことはできません。また、アメリカの戦略として、「核がどこにあるかわからない」ということが抑止力になる、というものがありましたから、どの艦船が核を積んでいるかということは決して明らかにされないのです。
こうした「現状」を鑑み、60年の安保改定で、日米政府は、核兵器を積んだ米艦船が日本を通過したり寄港したりする時に核の搭載を認める、という「密約」を結びました。これはすでにアメリカの公文書で明らかになっている事実です。(それ以外でも、朝鮮半島で戦闘が起こったり危機的な状況になったときには、アメリカの戦闘機(爆撃機を含む)が日本の基地から「事前連絡なしに」戦闘地域に向かうことができる、という密約の存在も明らかになっています。)このように、日本はアメリカにとって「都合のよい」前線基地として機能してきたのです。
さて、この「密約」は、歴代の内閣によって存在そのものを否定されてきました。日本は非核三原則「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」を国是としているので、当然、この密約は問題になるのです。しかし、アメリカの世界戦略の中に組み込まれた日本は、米軍の戦略構想に反する発言を行なうことはできませんでした。(ちなみに、非核三原則を貫いたことで故佐藤栄作元総理がノーベル平和賞を受賞したことは、まさにブラックジョークであり、ノーベル平和賞がいかに政治的なものであるかを物語っています。もちろん、当時から世界の外交官は日本に核が持ち込まれていることを「知って」いました。)
状況が一変したのは、1981年にライシャワー元駐日大使が毎日新聞の記者に対し、核密約の存在を認める発言をしたことでした。この後、日本政府が密約を了解していた公文書などもみつかり、密約の存在は「確実な」ものになりました。とどめは、アメリカの公文書館が過去の外交文書を公開した中に、この密約文書そのものがあったことです。こうして、日米の密約は「歴史的な事実」になりました。
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