記憶を燃料にして言葉に救われることってよくある
迷ったとき、落ち込んだとき、どうしようもなく自分の感情がコントロールできなくなったとき
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今日、以前購入してそのままになっていた村上春樹のアフターダークを読了した。
この小説のなかで以前感動したのと同じ内容の文章にまた出会った。
今回も少し長いが文章を引用してみたい。
ある場面でコウロギというあるところから逃げてきたラブホテル女子パート従業員にこの言葉を語らせている。
コウロギとマリの会話
『それで思うんやけどね、人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。その記憶が現実的に大事なもんかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。・・・・・・大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料』・・・
・・・『それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。・・・・いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから・・・・・なんとかそこを乗り越えていけるんよ』 <村上春樹 アフターダーク>
前回のブログでは同じ村上春樹の音楽エッセイ<意味がなければスイングはない>から引用した。
『・・・個人的体験はそれなりに貴重な温かい記憶となって・・・血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。・・・もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら・・・・耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ』
はたして自分はどれだけ記憶の引き出しをもっているのだろうか![]()
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ぼくは、これらの言葉に出会えたことで、どれだけ救われたか。
自分自身を否定したくなったときに
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