マイケルのこと。 一昨日、美容室の店員さんとマイケルの話でなんだか盛り上がってしまった。
彼女はわたしよりも2つ年上。熱狂的なマイケルファンだったらしく、マイケルのポスターが欲しくて毎日ペプシを飲んだらしい。
わたしはそこまでマイケルファンではなかったけど、小学生のときのマイケル・ブームはわりと覚えている。
わたしの通っていた小学校の向かいにはアメリカン・スクールがあり、バックパックを背負った子どもたちが向こうにある門の中へ消えていくのを、いつも左目で追っていた。
わたしは小学生の頃からしょっちゅう遅刻をするぐうたら人間で、わたしの登校時刻には辺りにあまり日本人の小学生の姿はなかった。しかし、アメリカン・スクールに通う生徒はちらほらと歩いていた。
とりわけ、遅刻確実の時間帯にかならず出くわす背の高い外国人の男の子がいた。わたしは友だちと勝手に彼のことを「マイケル」と名づけた。「マイケル」が歩いていると、あ~、今日も遅刻かー、なんてこれまた勝手に思っていたのであった。時計がわりにされて「マイケル」君もいい迷惑である。
さて、なぜわたしたちが彼のことを「マイケル」と名づけたかと言えば、理由はとてもシンプルで、外国人の名前でぱっと思いつくのが「マイケル」であったからだ。
あの当時は、外国人=アメリカ人=「マイケル」なのだった。
ちなみに、同じ頃ブレイクしていたマドンナの名前は、わたしにとって悩ましいものだった。「マドンナ」というのが固有名詞なのか、それとも「学園のマドンナ」という使われ方をする一般名詞なのかがよくわからなかったからだ・・・。
それはともかく、当時マイケルの存在はそれほどに偉大だった。(美容室のお姉さんいわく、ファンにとってマイケルは今も「神」らしい)
わたしはいわゆる洋楽ファンではないのだけど、最近、仕事柄、洋楽を全く知りませんと言っている場合でもないので、とりあえず○○年代ベスト・ヒットシリーズみたいなCDをときどきレンタルしてきたりする。
それで、ジャクソン・ファイブの存在を知ったのだった。
CDについている解説を読み、I’LL BE THEREを歌うかわいらしい少年の声はマイケルだと知り、へー、と驚く。そしてさらにジャクソン家にまつわる情報を知ったら、なんだかこの天才少年が憐れに思えてきてしまった。(読んだ内容についてはここでは書かないけど、○○年代ベスト・ヒットシリーズみたいなCDのどれかに書いてあります)
生前、整形手術を何度もくりかえした彼の体は、死んだ後も検死解剖の人たちによって切り刻まれている。
騒々しい人生だったなあ、と思う。
極東から、ご冥福をお祈りい
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