田舎暮らしの落とし穴(降って涌いた井戸水問題)『ウォータービジネスの井戸水問題(サントリー天然水白州工場のケース)』-その4
そもそもサントリー白州蒸留所の広大な敷地内に天然水工場が出来る前、1989年に私のセルフビルドのログは出来上がっていた。
その後、お隣さんが出来た。丁度蒸留所敷地の真下に位置する山林に小屋を建てられ、お隣さんが出来たと喜んだものだ。
でもその直後に水工場の建設が始まり、工場敷地内の林道側の厚い林が切り払われ、林道に沿い山裾に向かって縦長のペットボトル水工場が稼動しだした。
この原料の地下水汲み上げからペットボトル詰めまでの一環工場が出来るまえは、きらきら光る大型のタンクローリーが頻繁に首都圏に向かって出ていた。その頻度がかなり高くなって来た頃、私の耳には、欧州と同様、ペットボトル製造は採取現場でペットボトル封入しなければならないようになったとか、言うことが聞こえて来て、ペットボトル詰め水工場が出現した。
その工場の稼動が本格化した頃でしょうか、お隣さんと久し振りに顔を合わせた時、「水の問題で困っちゃっているのよ!」、「あんなに綺麗だった井戸水が濁って、茶色いになっちゃって、とても飲めるような水じゃなくなった!」と。
それからかれこれ10年近くなるのでしょうか、お隣さんは「もう嫌になるほど話し合いを持った。最後にはもうどうでもいいや! って気持ちになっちゃって!」と。
そこへ今度の新・井戸掘削の同意を求める書簡!!!
今度の井戸は、現在の工場敷地内ではなく、工場脇の林道を飛び越えた離れた飛び地で、上に私(白州の森)の井戸、下に市の施設とそれに隣接する美術館、そしてお隣さんを含め民家が2軒。
掘削の説明をしたいから連絡を、と言う内容なのだ。
晴天の霹靂である!
20年前、この地の山林を求めたのは(昭和63年)、周りに人家が無く、美味しい水が得られる場所、自分で汗水たらしてログを組み立てられる山林をもとめたのである。
ウィスキー工場は既に存在していて(1973年)、ウィスキー製造には良質の水が必要で、それに目をつけた鳥井翁がこの地に白羽の矢を立て、地元は横を流れる”濁川”じゃ名前が似合わない、昔からこの地域の花崗岩の白砂を神宮に奉納していた、だから”神宮川”に改名を、と言う話まで聞いていた。
私がログを建ててから、7、8年後だろうか巨大な水工場が稼動しだしたのは。
工場建設が始まると、厚い林は切り払われ、蒸留
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