アマゾン通信VOL.7……2004・11・26アマゾン通信(vol.7)……2004・11・26
●旧 加療宿屋「大原屋(だいばらや)」六代目当主の父「康之」が死去しました。
10月23日 東京日立病院にて、再生不良性貧血に加えて膵臓癌併発のため、永眠いたしました。
皆様の生前の御厚情に感謝いたします。
11月には母親の七回忌の準備をしていたのですが、先日亡くなった哲学者のジャック・デリダ氏と同じ病気で、こんなに早く本人が逝ってしまうとは思いませんでした。享年75歳でした。
通夜には悪天候にも関わらず、足立区長をはじめ、大勢の方々に参列いただきました。また弔電やお悔やみメールも多数いただき重ねてお礼申し上げます。
かなり急なことでしたが、父の朋友、足立史談会会長で文筆家の安藤義雄さんに受付をお任せすることができたのは、幸運でした。故人が菩提寺の檀家総代を務めていたために、当初考えていたよりも大事になってしまいましたが、ベテランの安藤さんやお手伝いいただいた皆さんのおかげで、滞り無く葬儀を終わらせることができ、疲れましたがホッとしています。江戸の歴史風俗や宿場町の歴史などに興味のある方は、安藤さんのお名前をどこかで目にしたことがあるかもしれません。
葬儀会場のお清めの場は母の葬儀と同様、禁煙にさせていただきました。後で会場付きの賄いスタッフの方々からは、「他の部屋と空気が全然違い、とても楽でした。」と感謝のお言葉をいただきました。ありがたいことです。そもそも、お浄めの場でダイオキシンやヒ素を含むタバコの煙を野放しにしておくことが変ですね。健康増進法違反だし。
●千住の町医者豆知識
★江戸時代、骨つぎといえば名倉と云われ、今も全国に名倉の名を冠する接骨医院が多数あるが、千住の名倉がその本院である。明和年間開業で、現在も残る古風な長家門は、将軍家の鷹狩り休憩所として使われた嘉永初年頃の建築と伝えられている。
名倉には戸板や大八車で運ばれてくる、一日の患者数が5〜600人もいたが、入院施設が無かったため、門前に患者専用の宿屋ができた。
万屋、成田屋、大原屋、金町屋、柳屋の5軒がそれで、金町屋のみ当時の建物が残っている。
これらの加療宿屋は病院法の改正で戦後廃止されたが、それぞれの宿屋の当主が名倉の医師も兼ねていた。
私の祖父も名倉の医者でした。
★基本的に町医者しかいなかった江戸時代が終わり、明治になると東京府は公的な医療機関のはしりとして、旧江戸四宿の品川、千住、板橋、新宿に4人の医者を区医として着任させた。このなかで、千住の区医(後に郡医)に任命されたのが、森鴎外の父親の静男氏である。森鴎外自身も陸軍医官を務めている間、千住の実家に住んでいた。この頃の
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