『いま、会いにゆきます』

『いま、会いにゆきます』を観た。土井裕泰監督。竹内結子と中村獅童の主演。

妻を亡くした男が、小学一年生の息子と暮らしている。男はホルモン分泌か何かが調子悪く、うまく日常をこなせない体である。妻が言い残していたことがあった。雨の降る季節に帰ってくる、というのである。信じられないことだと思いつつも、梅雨に入り、息子と森のなかの廃屋にやってくると、そこに妻がいた。

たしかに妻であったが、しかし、彼女は記憶を失っていた。男と息子はとりあえず妻を連れて帰り、ひとつひとつ、過去のことを語って聞かせる。ただし、死んだということは秘密にしておいて。妻は男と息子のことを聞き、やがてふたたび、男に心を寄せてゆくのだが……。

出だしの墓のシーンからして、ちょっとイヤな感じがした。西洋風の、明るい芝生のなかに墓石がひょこっと立っている奴で、バタ臭いなあと思ったのである。医者もちょっとうさん臭い。ダマされてるんじゃないか、獅童?などと余計な心配をしたり。

けれども、竹内結子が出てくるあたりで、だんだん引き込まれていった。要は、ファンタジーなのである。リアリティを求めてはならない。こう決心した時点で、素直に面白く観られるようになった。どうやって死者が戻ってこられるのか? 妻の日記は、なぜ一冊で何年もつけられるのか? そんなことは気にしない。ファンタジーだから。

息子が拾ってきたタイムカプセルに入っていた日記で、妻は自分の来歴と運命を知るのだが、それ以降、息子が自分の代わりに夫を支えられるように、いやに厳しく息子をしつけはじめる。ここらへんは、ちょっとグッと来てしまった。あと、夫の同僚(市川実日子)に、夫と息子のことをよろしく頼もうとして、すぐに、自分以外の人を愛したりしたら嫌だと、泣き出したりするところ。

ここもグッと来たのだけれど、ちょっと考えてみると、これは変なところもある。市川実日子に、獅童が愛することができるのは竹内結子だけだ、などと言わせたりして、じつは、実日子はダシに使われただけなのかもしれない。だとすれば、かわいそうなのは実日子だ。片思いをしてきたあげく、とつぜん死んだはずの妻があらわれて、彼が本当に愛するのはあなただけだ、などと、自分の敗北宣言をさせられるのである。まあ、それもファンタジーなのでいいか。

とはいえ、気にくわないところもある。さいごの竹内結子側の主観描写は必要ないのでは、と思った。はじめて彼女が獅童を意識しはじめるところから、結婚に至るまでの内面が日記をつうじて明らかになるのだけれど、これはおそらく余計である。物語のつじつまを合わせるオチの部分は、何とか他の工夫のしようがあったのではないか。相手の内面など、分からぬほうがよい。たとえ純愛ファ

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Oct 7, 2005



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