「生きたいと思い切り泣け」ー或る投書から

先日の朝日朝刊に1,190グラムの未熟児を出産した31歳の若い母親がこんな投書を載せていた。{とても小さくて触れただけで壊れてしまいそうだった。でも保育器の中で懸命に息をしていた。おっぱいが欲しい、眠い、オムツ替えて、抱っこして、と泣いて訴えたー最近いじめを苦に自殺する子が多い。その前に一度ひと思いに泣いたらよい。誰の前でも思い切り泣いてみたら、きっと「生きたい」という心の奥底に眠っていた気持ちが顔を出す。ー泣くと言う行為は万人共通。うれしい時、悲しい時、悔しい時「泣く」ことで 思いを伝える。一種の言語だ}

「小児の泣くと言うこと、制せずに泣かすがよし。其の児成長して後、物いひ伸びらかになるもの也と同じ尼の物語なりー泣きたいほど泣かせる事が言いたいことを何でも言いうる技能の養成法として大いに注目したいものだ」(柳田国男「涕泣史談」)

{泣くと言うことが一種の表現手段だと言うことを現代の有識人は忘れているのではないか。言葉を使うよりももっと簡明かつ適切に、自己を表出する方法として是が用いられていたと言うことを学者は気づいて居ないように思われる}と柳田国男は「涕泣史談」の中で書いているが上記の母親は自己の経験から子供が「泣く」事を表現手段として本能的に捉えていた。現在2歳に成長した娘を前にして子供の健やかなる未来を願ったこの母親の必死な気持ちには大いに心を揺さぶられた。

「男の子は泣くものではない」亡くなった母親の言葉を私は今でも忘れはしない。厳しい母親だったから、又生活が苦しかったから「甘えること」「泣くこと」は許されなかった。それでも四六時中泣いていたような記憶がある。思いっきり泣くことで却って心がすっきりする・・このような経験は誰にもあるのでは無かろうか。

東大大学院で「死生学の構築」プロジェクトを担当されている竹内整一氏は「悲しみの復権」として「悲しみの感情や涙」は決して否定的なものではなく、むしろ「心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となる」、これからはこうした感情をあらためて「正当な位置」に復権させることが必要と主張されているが「徹底的に悲しむことが新しいエネルギーを生み出す」とはまさしくあの生まれたばかりの嬰児の生きざまにも繋がる話しではなかろうか。

Jun 21, 2008




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