風と水と死と

今評判の韓国ドラマ「あの青い草原の上で」を見ていて、あれ?・・と思ったことがある。主人公のテウンがヒロインのヨノに対し自分の愛が永遠のものである証に「例え自分が死んでも風や水のように何時までも貴女の側を離れない」と告白したシ-ン。韓国に於いてもこのような考え方が? 風は判るような気がするが水は?

風について
今多くの人が心を込めて歌っている「千の風になって」の如く洋の東西を問わず「風」は「死」と密接な深い意味を持つのであろうか。死後の世界で人は例えば星や鳥、虫や風、その他ありとあらゆるものになり変わると言う考え方は仏教はじめ多くの宗教の説く所だが特に「風」と言う言葉の持つ不思議な力が人々の共感を得て「死んだ後でも風になって見守っている」と信じさせて呉れるのだろうか。

英語で書かれた原詩(作者不明)を極めて判りやすい日本語に翻訳した新井満さんは「風」の持つ雰囲気を「死ぬっていうのは、何か暗く冷たい所に押し込まれる、墓穴の中に監禁されるイメージ。所が風になって、自由自在に大空を吹き渡る。これは又楽しそうで、死ぬと云うことにじたばたしなくなった」と朝日新聞に自身の言葉を載せている。つまり風の持つ大きな生命力がこの詩、この歌を今日多くの人が愛唱する原動力になったのかも知れない。

死後の世界のことはソクラテスではないが誰も経験したことがないから判るはずは無い。然し死後例えば虫になるかも?と考えたら誰もいい気はしないに違いない。だから風の持つイメージが大受けしたのかも。死後の世界においても美学を好む・・人間の人間たる所以だ。

水について
死と水が近いのは水がもつ柔らかさではないだろうか。加島祥造が邦訳した「タオ 老子」に「水というのは全てのものを生かし、養う」という言葉がある。又鈴木大拙も「東洋的な見方」の中で「やわらぎは生の感覚である。生命は柔らかなものに宿る。死はこわばる。嬰児の柔らかさと老人のこわばりを比較してみればわかる」と書いているが「水」が「生」の象徴だとすれば「水」になって愛する人を見守ると言う考えは前述の「風」に通ずるのかも知れない。

「風」も「水」も「生」の象徴と考えればテヤンの愛の告白も極めて自然な表現と言うことになる。東洋人である我々には日本人たると中国人、韓国人たるとを問わずその依って来たる根源にこのような考え方が自然に備わっているのかも知れない。

Apr 14, 2008




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