ねがはくは花の下にて・・西行法師朝日新聞朝刊連載の夢枕 貘「宿神」が終わった。「宿り神」に寄せて夢枕 貘が西行法師に思いを託した読み応えのある小説であった。祖父から教わった蹴鞠、平清盛との交友、待賢門院璋子との交わり、怨霊の登場などなど物語の世界も広くいかにも夢枕 貘の面目躍如と言った楽しくて切ない物語であった。古来我が国では太陽、自然に対する畏敬の念、信仰心が強く、又呪術などにも造詣の深いものがある。「宿り木」と言われる植物と同じように「宿り神」が考えられても不思議ではなく夢枕 貘は是を西行法師の生涯に結びつけておどろおどろした近頃珍しく面白い小説に仕立て上げた。
これまで多くの人が西行法師を取り上げてきているが白州正子(随筆「西行」)も 夢枕 貘も極めて魅力のある人間として西行を見ているが故にそれぞれ見事な随筆、小説に仕上がったのだと思う。
「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃」
山家集にも載っている私の好きな歌だが西行は桜をこよなく愛したことでも知られている。西行にとって桜の花自体を詠ったものは別として歌の中では桜が自分とは身分の違う高貴な方を暗示しているのかも知れず、桜を通じて思いの丈を伝える手だてとしたのかも知れず、仏門に入ったにも拘わらず世俗に紛れ待賢門院璋子が亡くなってからその後を追うように嵯峨野、吉野に庵を結び、ついには河内長野の弘川寺でその生涯を終えた。
白州正子は随筆「西行」の最後にこう書いている。
「西行が仏教の聖者の如く祀りあげられているのは「ねがはくは」の歌によったのはいうまでもないが、当時としてはその方が通りがよかったし、今でも一派の人々はそう思っているようである。だが西行の真価は、信じがたいほどの精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世の定めを歌ったことにあると私は思う」。
(註)
作者夢枕 貘が「宿神」について1月24日の朝日新聞朝刊に下記のような記事を載せておられたので追記します。
{「宿神(しゅくじん)」又は「石神(しゃくじん)」、宿神すなわち日本最古層の神にして縄文の神ーすべての自然物、あるいは自然現象の背後にこの神がいる。別名翁。}
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