ディリよ再びディリよ再び(2004年2月11-13日)
1年10ヶ月ぶりだった。空港から市内への道すがら、制服を着た子供達が鞄を背負って群れ集って沢山歩いている。それだけでこの小さな独立国に、以前にはまだ、しかとは見られなかった平和が着実に戻って来ていることが分かる。焼け焦げも生々しかったビルも、そこかしこで修復され、人々に使われて甦りつつある。ホテル「ディリ」もそうだった。以前には、郊外の海岸沿いにプレハブ造りの建物で営業していたが、その後、かつて廃墟に近かった元の建物を修復し、ポルトガル調のヨーロッパ風ホテルとして再出発しており、エアコンの効いたロビーでは、外国人が其処彼処でコーヒーを飲み、立ち話をする姿が見られた。それでも、ディリに来慣れている者はどちらかといえば海に浮かぶ「シップホテル」の方に愛着を持つようである。
今回の出張は、昨年制定した労働法を基盤に、にアメリカの支援で進めてきた労働問題に関する三者構成の協議機関の、記念すべき第1回目の会合に出席するためだった。ティモールレストのような小さく貧しい国が、これから100年に渉る国の基礎造りを進める上で、重要問題について労使に情報を開示し、協議の中で政策決定を進めていく体制が固まったことは、そのプロセスに国民各層の参加と合意を促す上で計り知れない意義がある。
ことの重要性は、バーノ労働大臣はもとより、昨年の労働法典施行式典にも出席したグスマオ大統領自身よく認識していた。まだ破壊の爪跡が生々しくエアコンも無い大統領官邸で、産業基盤の全く無いティモールが、国の将来を決めるであろう人作りを如何に進めていくかについて大統領は私相手に、ティモールはとりあえず食品加工と観光に集中すべきであると熱弁を振るった。それは経済的自立の可能性以前に、政治的自立を選択せざるを得なかった小さな国のリーダーが、独立後に直面する厳しい現実の中で、その小柄な肩に背負う国民80万国民の現実的将来を模索する姿であった。
一方、かつてグスマオと初代大統領の座を争った首相のアルカティリは、先にバクダッドのテロで不慮の死を遂げたドウメーロ国連特別代表がUNTAETの指揮を執
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