■生産の無駄と生活の無駄

CWSコモンズのほうには書いたのですが、先月、パソコンが壊れてしまいました。
メーカーのサービスセンターの人の指導を受けて修復に努めましたが、ダメでした。
そのことをホームページの週間報告に書いたら、それを読んだ友人が修理に来てくれました。
そして、一度は諦めて買い換えようと思っていたパソコンを直してくれたのです。
その上、今日また来てくれて、今度はメモリーをパワーアップしてくれました。
ゴミになりそうだったパソコンが見事に復活し、さらに成長したのです。

ついでにもう1台、ノートパソコンも壊れていましたが、それまで直してもらいました。
商品のことをどれだけ知っているかで、こんなにも違うものなのです。
友人は自分で部品を買ってきてパソコンを組み立てていたのだそうですが、そのため、どこをどうすればいいかよくわかっているのです。

知識があるかないかでは、商品との関係は全く変わってきます。
一時期、「消費者教育」という言葉がさかんに使われましたが、その言葉自体に象徴されているように、消費する教育でしかありませんでしたから、その商品のことをよく理解してもらい、修理方法も含めて「付き合い方」を学ばせるものではありませんでした。
商品の実態はどんどんブラックボックスになっていき、ただ「機能」だけを享受できればいいという発想が広がりました。
つまり「無知な消費者」を増やす「市場拡大活動」です。
こうした活動は、生活に無駄を増やそうということなのだと、今回の体験で改めて気がつきました。
つまり、「経済」を発展させるということは、無駄を増やすことなのです。
企業は、自らの活動(生産)においては「無駄」をなくそうと努力していますが、市場においては「無駄」を増やそうとしているのです。
故障した商品は修理してもらっては困るわけで、修理できないようにして廃棄させ、新しい商品を購入してもらうのが、「顧客の創造」という美名に隠れた実態です。
それに加担したのが、近代アメリカの経営学です。

生産における無駄をなくすのか、消費(生活)における無駄をなくすのかで、経済のかたちは全く変わります。
そのどちらが悪いと決め付けることはありませんが、その意味だけはしっかりと認識しておく必要があります。

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生き方の話 | 経済時評
2009/07/09




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