■ワーキングプア、あるいは働くことの意味

いくら働いてもなお貧しい暮らしから脱出できないワーキングプアが問題になっていますが、この言葉そのものに、ある落とし穴があるような気がします。
プアでない者のたわごとと言われそうですが、念のために言えば、私はこの数年、仕事があまりできなかったため、国民年金が一番の収入源です。

ワーキングプアのどこが落とし穴かといえば、プアということが経済的な収入に直結していることです。
たしかに都会で暮らしていくためには金銭がなければやっていけませんが、人はお金がなければ生きていけないわけではありません。
金銭収入があまりなくても暮らしていける地域は、日本にもまだあるはずです。
そこでは「生活の仕方」や「働き方」が違うのです。

労働力、しかも安価な労働力の供給源を維持していくためには、経済的格差を拡大させていくことが効果的です。
そうした政策が生み出しているのが「ワーキングプア」という概念ではないかと思います。
やや極端かもしれませんが、いつの時代も、経済成長を支えているのはワーキングプアなのです。

安田喜憲さんの「一神教の闇」(ちくま新書)にこんな紹介があります(一部文章を要約)。バリ島では農民たちが木の彫刻を作って売っている。こんなに作って売れるのかと訊いたら、それこそ市場原理に毒された考えだといわれた。農民たちにとっては、この美しい彫刻を作ること自体が喜びなのである。私たちが忘れていたことを思い出させてくれます。
働くということは本来楽しいことだったのです。
働く喜びの結果、その彫刻が売れたとしたら、もう一つの喜びが得られます。
それがそもそもの「働くこと」の意味だったように思います。
しかし現在は、金銭を得るための行為が働くことになっています。
そこに大きな落とし穴を感じます。

労働は義務、これは近代資本主義の根幹にある発想です。
義務が楽しいはずはありません。
神が課した義務という形をとりながら、実はその神の仮面をかぶっているのは権力者だったわけですが、逆にそのために金銭が権力を持ち出してしまったのだろうと思います。そして、権力者たちもまた金銭に振り回される存在になってしまったのかもしれません。

ディーセントワークという言葉が少しずつ使われだしています。
定訳はありませんが、「価値ある仕事」とか「適正な仕事」「納得できる仕事」など

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社会時評 | 経済時評
2007/12/11




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