普遍的ではない「公正さ」。私法の普遍性を何処に求めるか?

さて、米国に象徴される「フェアー精神」は、物々交換の公正さ(時価等価性)に出発点をなし、陸地取得を正当化する為の手続き(原始取得)の公正さにまで及び、現代に至っては「取引の公正さ」という、経済活動の基本をなすまでに重要な概念となっております。

この「公正さ」は、米国にとっては陸地の原始取得の問題も含め、自国の存在自体に係わる問題であるため決して譲れるものではなく、日本を含めた第三者に対してもその採用を強要してきます。しかし、地球温暖化ガス削減の問題で先進国と発展途上国が対立しているように(*)、既得権を保護することに繋がりやすい「公正さ」に対しては、多々議論があるところであり、既に見てきたように、ビジネスの世界に於いては、米国的な「公正さ」に似ていながらも、自国の出自や陸地とのかかわりに影響され、その内容において大きく異なる概念(ビジネスにおけるキーワード)で現場に於ける問題解決を計っているケースも存在します。各国各様なのです。

(*)インド・中国といった今後温暖化ガスの増加が見込まれる発展途上国に削減努力を求める先進国に対して、発展途上国は、地球温暖化が進んだのは工業化を進めた先進国の責任であることを理由に、削減義務は先進国にあり温暖化防止の為に途上国の経済の発展を犠牲にすることはできないと主張する。

一方、この「各国各様」をつなぐものとして、私法統一国際協会などは、「公正さ:Fair Dealing」を任意的な規範として定め、普遍的な解決を計ろうと試みておりますが、先ほど述べたように、ここでいう「公正さ」は必ずしも普遍的ではないと考えるべきであると私は考えます。公法において、陸地の原始取得を正当化するためにその「公正さ」において妥協する余地はないにしても、私的自由を基本とする私法においては、その余地はあるはずです。

それでは、私法において普遍性をどこに求めたらよいのでしょうか?

カールシュミットは、その著書「大地のノモス」において、(公)法は大地により規定されると述べています。これに比し、取引に代表される私法は何により規定されるのでしょうか? 取引といえば「船」。そして、境界の定まった区別的な陸地に比して、境界の定まらない自由な「海洋」を超えて船は渡っていきます。「海洋」は誰のものでもなく、自由の象徴であり、私法の私的自由によく馴染みます。そして、「海洋」の法といえば、「海賊の掟」。船長による人治です。

陸地と海洋の対比、そして海洋に於ける人の役割。ここにそのヒントがあるのではないかと考えています。

脳のノモス
2009/01/19




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