カッファエンジン研究所報8![]()
二つならんだアルミ製の水筒。どちらもスイスSIGG社製のものだ。しかし作られた年代が違う。右は私が35年程前に買って以来愛用しているもの。私が山に出掛ける時にもよくお供をしてくれたし、平地でも時にウィスキーや焼酎が入って活躍してくれる。左の猫の絵の付いたものは去年友人からいただいた新品。最新式のキャップが付いている。このSIGG社製の水筒が優れているのは第一に絶対に水漏れしないこと、第二に飲み物の味が変わらないことだ。その絶対の信頼性がないかぎり世界のアウトドア愛好家に支持されることはなかっただろう。しかし当研究所が取り上げるからにはそんなことを問題にしているはずがないことは読者諸兄も既に気づいていらっしゃることだろう。この水筒の凄いのは変わらないというところなのだ。何が変わらないのかって。35年前のボトルに最新のキャップがそのまま付くのである。こんなことは悲しいかな日本製ではあり得ない。新しい水筒を友人からプレゼントされた時に偶々古いほうがあったのでキャップを付け替えてみて驚いた。私自身そんなことは予想していなかった。
だいたい日本製品は仕様を変えすぎる。いたずらに買い替え需要を喚起しているだけのように私には思える。百年の計で物づくりをしていないことは論を待たない。一発台風が来たら、その年は全滅。また来年頑張ればいいという稲作文化が今だに抜けきれていないのではないか。場あたり主義そのものだ。
現在この時点で物づくりの現場で働いている人達からは、「改良を加えてどこが悪い」という反論が返ってきそうだが、変えるべきではない基本的な部分は変えてはいけないのだ。
身近にある物を例に挙げてみよう。乾電池の頭の部分(いわゆるヘソ)がこのところ低くなっているのに気がついている人はいるだろうか。殆どの人は無関心のまま電池交換をしていることだろう。バッテリーの容量を多くして、少しでも電池寿命を延ばしたいという開発者の気持ちは分かる。しかし基本的なところはいじっては駄目なのだ。乾電池には伝統的にサイズというものがある。現に私が長年愛用してきたひげそりや目覚まし時計は使えなくなってしまった。単三
(1/2) 次»
コメント(0)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
このブログを友達に教える