鎌倉 海蔵寺

6月12日の鎌倉の海蔵寺です。北鎌倉の長寿寺を過ぎて右折して亀ヶ谷坂切り通しを抜けて海蔵寺へ入りました。長寿寺は以前は非公開でしたが最近日時時間限定で公開されるようになりました。この日も特別公開でしたので入ってきましたがデジタル一眼禁止で普通のデジカメはOKなのが不思議な感じがしました。庭園などは非常に綺麗でした。海蔵寺は花の寺とも呼ばれる花が綺麗な寺院です。最後の写真は海蔵寺の山門前の鎌倉十井の一つ「底脱の井」(そこぬけのい)です。「千代能(ちよの)がいただく桶の底ぬけて 水もたまらねは月もやどらず 如大禅尼」と刻まれた石碑が建っています。安達泰盛の娘千代能(一説には上杉の尼)が参禅した時に、この井戸の水を汲むと桶の底が抜けてしまった。この時、心の中にあった煩悩が氷解し、悟りの境地に達したというのである。海蔵寺は建長五年(1253)に鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって、七堂伽藍の大寺を建立したが元弘三年(1333)5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。室町時代の応永元年(1394)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興。薬師如来を本尊とする大寺で盛時には谷戸一帯に塔頭が立ち並ぶ程でしたが、今はことごとく廃絶してしまいました。カメラはペンタックスK20Dとペンタックスレンズ18-55mm&55-300mm&28mmソフトF2.8です。

竹風和歌抄から宗尊親王の歌。

      虎とのみ

    用ゐられしは

      昔にて

    今はねずみの

    あなう世の中

(意)虎とばかりに畏れられる地位に置かれたのは昔のことで、今は鼠が穴に潜むように逼塞している。ああ無情な世の中よ。

宗尊親王は後嵯峨天皇の皇子で鎌倉幕府の第5代執権北条時頼の懇願により初めて皇族出身の鎌倉幕府第6代将軍として建長四年(1252)鎌倉へ下向しました。文永三年(1266)に鎌

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2009/07/05



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