加須市 浮野の里

6月19日に埼玉県加須市の多門寺の浮野の里へ行ってきました。浮野の里は国土交通省土地・水資源局の全国「水の郷」百選に認定されています。関東地方の平野部は昔から河川の氾濫に悩まされた土地です。私の父の実家は加須市にありますが昔はどの家でも必ず家の中に小舟が一艘置いてありました。父の実家に遊びに行くと子供心になぜ舟が天井からぶら下げられているのかが不思議でした。利根川と荒川は度々洪水をおこし田畑を流し江戸市中まで水浸しにした洪水は度々ありました。明治になっても洪水は治まらず明治43年の大洪水は8月1日から大雨が降り続き10日には暴風雨となり利根川・荒川の両河川の堤防が決壊し埼玉県の平野部は完全に水没し、東京にも流れ込み泥海の中で舟でしか交通の手段がない時期が続きました。東京で水が完全に上がったのは12月になってからと伝えられています。昭和22年のキヤスリン台風襲来は空前の大洪水となり、利根川東村の堤防決壊のため大洪水となりました。また翌年の昭和23年のアイオン台風により再び大洪水となりました。これらの洪水を教訓として日本政府は利根川・荒川の河川の改修に力を注ぎ続けてきました。現在は洪水になる事はありませんが20年ほど前に荒川の水位が警戒水位を超えたときがあり、あと少しで浦和市内に荒川の水が入ってくるところでした。現在は埼玉県の南部地域に荒川の遊水池が設けられ都内の洪水を防ぐ色々な手立てが考えられています。しかし、大自然を相手では完全とは言えないと思います。

太平記によると源平時代に源氏の長者であった源頼政が鵺(ぬえ)退治の功あって褒美を賜る時、源頼政がかねてから菖蒲(あやめ)の前という女官に思いを寄せていることを知っていた鳥羽院が、ちょいとしたいたずらをしました。12名の美しい女官に同じ衣装を着せて薄絹の陰に並ばせ、いづれが菖蒲の前であるかを見極めたら菖蒲の前を源頼政へ与えようと申し出ました。しかし、美人ばかりで見分けがつかず困っている源頼政を見て女官が「水かさが増せば浅香の沼の菖蒲も見分けにくいこともあるでしょう。」と言ったところ、頼政はこれは難儀な事と言うかわりに、歌で答えました。

      五月雨に

   沢辺の真薦(まこも)

     水越えて

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2009/07/01



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