詰まれてうれしい人はいない

 というのを忘れてしまうんだよなあ。コンペにしてもなんにしても、理屈で相手を兵糧攻めにして出口をなくしてしまうことは、純粋に戦略的に見ても得策ではないんだけど、会議をしていると、みんなそのことを忘れてしまうんだよなあ。この出口を閉じて、あの出口を閉じて、その反論も封じて、よしっ、これだけやれば受け入れるしかないでしょ、って、そこまでされたら受け入れられるものも受け入れられなくなっちゃいますってば。

 将棋ってあるじゃないですか。あれは、こういうルールの中でお互い競い合いましょ、っていう合意があるから成り立つわけで、だから、あっ、詰まれた、もうあかん、ってなったとき、参りました、と爽やかに言えるんですよね。

 でも、コンペにしても、広告の企画にしても、マーケティングにしても、その提案なり商品なりをお買い上げいただきたい人との間にルールなんてないわけです。しかも、会議室で広告マンたちが勝手に決めて、これしか真実はないよねっていう、そんな身勝手なルール、相手からしたら、そんなん知らんがな、てなもんですよ。

 仮に、うまいこと社会にそのルールを広めることができたとしても、そのルールに従うことで、まるで将棋のように、どうすることもできない状況に追い込まれたら、詰まれたなあ、参りました、その商品を購入いたしますとはならないわけですよ。将棋盤をひっくり返しますよ。ルールごと、なかったことにしますよ。人間って、そういうものです。当たり前じゃないですか。詰まれて、負けて、受け入れる。そんなの、けたくそ悪いもの。

 そういうやり方がすべてうまくいかないとは言わないですよ。うまくいくことも、たまにはあるでしょう。それは、ある意味、マーケティングの定石かもしれんよ。でもね、そういうのは、長く続くことはまずないんじゃないかな。短期的にでもうまくいけばいいじゃないかって。目先のことも大事だって。

 じゃあ言いますよ。素敵じゃないんですよ。そういうやり方は、まったくもって美しくないんです。でもそれは、あなたがそう思っているだけでしょ、って。じゃあ、言いましょう。私は、そういうやり方、嫌いなんですよ。大嫌いなんです。もういいでしょ。じゃ、そういうことで。夜も遅いしさ。

※これは創作ですからね。念のため。


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広告のしくみ
2009/07/02




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