準強制猥褻事件?その昔、ジョディーフォスターが主演した「告発の行方」という映画がある。非常にセクシーで魅力的な女性が、バーで誘惑する視線をおくったことが、その後の集団強姦事件に対して、「被告人が誘った」ことになるかどうか、を描いた社会派の映画である。判決は加害者ならびに傍観者に対して、有罪だったとおぼろげに記憶している。
先日、京都教育大学学生が起こした事件は、残念ながら性犯罪事件の重要性をまったく理解していない、人権を蹂躙する、極悪非道なものといわざるをえない。痴漢被害でさえ、怖くて電車などの公共交通機関を利用できなるような、トラウマを抱える人がいる。いわんや、準強姦事件となれば、心理的な負担は通常の心理状態を壊してしまうのに十分ではないか。被害者が事件の翌日、どのように行動しようが、それが事件の犯罪性とは全く関連がない。たとえば事件によるトラウマから逃れたいがために、アルコールやギャンブルに一時身をゆだねることもあるだろう。それは自分では解決不能の外的ストレスを受けたことのある方なら理解できるのではないか。それを、犯罪性を軽減するもの、被害者が被害意識を持っていないものと、どうして言えるのだろうか?もし下記の記事が事実だとするならば、その事実が示すものに悲しくなる。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_assault2__20090606_19/story/06fuji320090606205/
かたや足利事件の容疑者として長年の刑務所生活に耐えてきた菅家元容疑者は、最新のDNA鑑定結果により容疑者としての疑いを晴らし、釈放を勝ち取った。被害者の心情を思うと一刻も早く真犯人の逮捕・起訴を望みたい。また菅家元容疑者の拘留に対して、国家はどのようにその責任を考えるのだろうか。検察による冤罪の責任は、追及されなければならないのではないか?
「疑わしきは罰せず」という。しかしそれは、黒を白と言っていいわけではない。黒は黒、白は白である。無期停学処分と刑法の処罰とは、まったく別のものであり、たとえ学校内で事件が起こっても刑事事件は社会生活の維持管理上、国家が介入する必要があるのだろう。東京都文京区では、元学生に刺されて亡くなった教授もいる。犯罪は犯罪であり、「教育的配慮」とは別次元である。それでは犯
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