大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち

1990年(平成2年)、僕は岡山で学生をしていた。その年、レナード・バーンスタイン(以下レニーの愛称で呼ぶ)がロンドン交響楽団を率いて来日公演を行った。そしてこれが最後の来日となった。

レニーは京都でも公演する予定になっており、これを聴きに往くかどうか僕は散々迷った。曲目はブルックナーの交響曲第九番。マーラーならいざ知らず、ブルックナーはレニーの得意分野ではない。交通費も馬鹿にならないし、断念することにした。

結局レニーは途中体調を崩し東京公演の後、残る予定を全てキャンセルし帰国してしまった。だから京都公演は幻に終わった。東京公演ではレニーが振る予定だった「ウエス・サイド物語~シンフォニック・ダンス」を弟子の若い日本人が振り、払い戻しをする・しないで主催者側と聴衆のすったもんだが起こった事が大々的に報じられ、僕は新聞記事でそのことを知った。そしてその年の10月14日にレニーは肺癌で亡くなった。彼はヘビースモーカーであり、DVDで発売された1973年ハーバード大学での有名な講義「答えのない質問」でも、煙草をスパスパ吸いながら熱弁をふるっている(これは含蓄のある素晴らしい内容である)。

レニーの代役として「シンフォニック・ダンス」を振った、当時無名の日本人が大植英次さんだったことを僕が知るのは、大阪に移り住み大植/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を初めて聴いた、2006年のことである。

レニーの弟子として有名なのは大植英次さんと佐渡 裕さんだが、どうもこのふたりの関係がよく分からない。そこで今回色々と調べてみることにした。

大植さんは1956年10月3日生まれ、佐渡さんは1961年5月13日生まれ。大植さんの方が5歳年長である。

大植さんは1978年夏に小澤征爾さんの招きでアメリカの

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クラシックの悦楽
2008/02/29




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