「全盲の」はいらないに同感

朝日新聞朝刊の「声」欄に題記の
文が載っていました。2009/6/13

バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した
辻井さんの記事に関する「声」です。

私も同感です。

「天声人語」欄にも同様内容の文があったそうです。

「全盲の」と前置きすることにどういう意味
があるのでしょか? いらないと思います。

全盲と言うハンディを背負ったとたんに、
絶対にピアニストとして、ましてプロとして
やっていけることなどあり得ないことだ。
決まっていることなのだ!
と言う暗黙の前提があるように思えます。

そのことが覆されたので、
あり得ないことが起こったので、
前置きをつけた。
ということでしょうか?

考えすぎでしょうか?

「全盲の人である」という色眼鏡で見てはいませんか?

何が大切なことなのでしょうか?
何を一番に報道すべきなのでしょうか?

まず、一人の人として、コンクールに優勝した。
そのことを素直に祝ってあげるべきではないで
しょうか?
その将来に期待していると、
そして、最後に、こういう個性の持ち主なのだと、
報道すれば良い。

まず、人がいます。
その人には個性があります。人それぞれ違います。
その違いをいちいち強調しますか?
ハンディも個性のはず。
個性を強調することにどういう意味があるので
しょうか? 

差別と感じてしまいます。

人を尊重してください。
人を見てください。
ハンディがあるということだけで、就職の書類選考から
はねられてしまう現実があります。

その延長にあることのように思えます。

日記・コラム・つぶやき
2009/06/13




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