2009年7月のことば ![]()
一切の有情(うじょう)は
みな食(じき)によりて住す
『成唯識論(じょうゆいしきろん)』
食べることというのは、生きることの根幹かもしれない。
「なぜ生まれてきたのか」
「なぜ生きなければならないのか」
「なにをすべきか」
「どう生きるべきか」
「この世に生まれてきた意味はなにか」
「生きることに意味はあるのか」
人は、多くの苦悩や疑問を抱えて生きている。しかし、それら苦悩や疑問が、どんなに深く大きくとも、お腹がグゥッと鳴ったとき、意識は空腹に奪われる。どんなに悩んでいても、食べることを忘れてはいけないと、体は訴えているのだろう。
頭ではいろいろ考えて、人生という道の歩みは止まってしまっても、体は、食べろ食べろ、動け動けと催促する。
「自分のことは自分がよくわかっている」とか「自分の体なんだから、自分がどうしようと勝手だろう」などというけれど、自分ほど分からない存在はないのではないだろうか。
食べ物を口にすると、そのときばかりは苦悩も忘れられ、その美味しさにこころを奪われる(あぁ、こころを奪われるから、それまで頭でいろいろと考えていたことも、消えるのか)。
なんて書いたけれど、なにものどを通らないほどに悩み苦しんでいる人もいる。味を感じない人もいる。食べ物でごまかせるほど、単純な悩みじゃないんだと、お叱りを受けることだろう。
そのような人は、確かにいる。私にも、そのような時期があった。それほどの苦悩を軽んじているのではありません。
人は、それぞれに問いを持ち、もがき苦しんでいる。しかし、その問いは、頭で考えているもの。その問いが、私を苦しめていると思っているけれど、果たしてそうなのだろうか。
お腹がグゥッと鳴る事実にしても、私の想いとは別に働いているものがある。この身だ。どんなに苦しんでいても、食べる気がしないと思っていても、お
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