道標ちらかった部屋に通されたら、ちらかっていることが気になることでしょう。
「少しは片付けろよ」と、文句も出ることでしょう。
でも、きれいな部屋に通されたら、特になにも感じないことでしょう。
だから、「きれいですね」とか、ほめることばも出ないことでしょう。
服にほころびがあったら、
「縫っておけよ」と、文句も出ることでしょう。
でも、知らないうちにほころびを直されていたら、その事実を知らないままになる。
「縫ってくれて、ありがとう」なんて感謝のことばが出るはずもない。
道路を無謀な運転をする人がいる。
今まで事故を起こさずに済んでいるのは、自分の運転のテクニックが上手いからなんて思っているかもしれない。
多くの人間の安全運転のおかげで、事故にならずに済んでいるのに、それに気付かない。
事故を起こす前に、気付いて欲しい。
街の環境が整備されていても、そのことに気付かなければ、
不備にばかり憤りを感じることでしょう。
「ここがああなら便利なのに」「これは不便で腹が立つ」
便利さばかりを追求してると、すでに私のために為されている優しさに気付かない。
綺麗にされていて、直されていて、安全安心で、優しさに満ちた世界にいるのに、
それに気付かない私は、
汚れて危険な環境に身を置いているのと同じこと。
汚れて危険な環境は、私自身が作り出す。
どんなに環境が整っても、たとえここが浄土でも、
私ひとりのために、たとえ浄土でも地獄になる。
綺麗にしていて、直していて、安全安心に気を配り、優しさを発しているのなら、
それに気付いてもらえないことを、愚痴ってはいけない。
こんなにしているのに、こんなに頑張っているのに、こんなに想っているのに…
こんなにする、こんなに頑張る、こんなに想うのは、褒めてもらいたいから?
いや、元々の想いは違うはず。その想いを忘れないで生きたい。
気付いてもらえなくても、褒めてもらえなくても、
見ていてくれている人は、必ずいるのだから。
だから、愚痴らなくてもいい。愚痴ると、自分で自分を安っぽくしてしまいますよ。
優しさに包まれて生きているのに、その事実に気付かずに不平不満ばかりの不幸。
でも、優しさに包まれている事実に気付くことが幸せなのではない。
すでに幸せの中に身を置いている。感謝の日々。
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