2009年5月のことば


     念仏者は無碍の一道なり
                親鸞聖人
   
今月のことばは、親鸞聖人のおしえを、弟子の唯円さんが書き残された書物『歎異抄』の第7章に出てくることばです。先ずは全文をご紹介します。
  
念仏者は、無碍(むげ)の一道なり。
そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇(てんじんじぎ)も敬伏(きょうぶく)し、魔界外道(まかいげどう)も障碍(しょうげ)することなし。罪悪も業報も 感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々。
『歎異抄』第七章
  
【試訳】
「南無阿弥陀仏」の念仏は、何者にも妨げられることのない、ひとすじの大道です。
それは、どのようなことかといいますと、本願を信じ、念仏申す行者には、天の神・地の神も深い敬意をはらい、悪魔や異教の徒も妨げをすることができません。また、どのような悪業も、その報いに恐れを感じさせることはできません。どのような善い行いも、  念仏の力には及びません。だからこそ、何者にも妨げられることのない、ただひとすじの大道であります。
と、親鸞聖人はお教えくださいました。
   
   
      
「念仏は無碍の一道なり」・・・念仏を称えると、碍り(さわり)となるものが無くなるという意味ではありません。「南無阿弥陀仏」が、碍りを無くしてくれるというのであれば、念仏はただの呪文になってしまいます。念仏は、苦悩解消の呪文でも、問題解決の方程式でもありません。
私が生きる場は、今、現に生きているこの場しかありません。にもかかわらず、過ぎ去った過去を恨み、現在が居場所として落ち着かず、未来に自己中心の理想を夢見ます。
自分の都合や欲望を追求して念仏を称えても、念仏は応えてはくれません。いや、念仏が応えてくれないのではありません。自分自身のこころが、碍りを作

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西蓮寺掲示板のことば
2009/05/01



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