[S27] 死と復活・・その二(宮沢賢治・よだかの星) 悟ってもいない私がこんなことを書くのもおかしなことなのですが、私はいつの頃からか、宮沢賢治の「よだかの星」は賢治が悟りのイメージというか、超越のイメージの消息を童話に託して書き出したものであると思うようになりました。
そう書かれたものに今までどこでも出会っていませんし、この稿を書くに当たってネット上でざっと検索してみましたが、明確にそう書かれているものは見あたりませんでした。
私がそう理解する根拠は、それが中枢の死と復活の消息そのものだと直観するからなのですが、宮沢賢治は作品以外には何も語りませんので確認するすべもありません。以下、私流の理解を記しておきます。
醜い夜鷹は、他の鷹から鷹の面汚しだとしてその存在を脅かされます。その苦悩の中で、夜鷹自身の存在も無意識のうちにカブトムシの存在を脅かしているもの(自分のエサである)であることに気づき、苦悩はさらに深まって、絶体絶命の淵へと追い込まれてまいります。
絶体絶命の淵へと追い込まれる経緯はいろいろなケースがあるかと思われますが、絶体絶命の淵へと追い込まれたということは、一般化してよいでしょう。
絶体絶命の淵にあって、夜鷹は自力で解決の方途を求めますが、そのようなものは見あたりません。
自力での解決が尽きた夜鷹は、次に外に拠り所としての助けを求めます。
東の「お星様」に、西の「お星様」に、南の「お星様」に、そして北の「お星様」に、どうしたら自分は救われるのかを問いかけます。しかし、どの「お星様」も何も答えてくれません。
ここに、夜鷹の絶体絶命の淵は決定的に極まります。
ある夜、夜鷹は何を思ったのか、地上からはるか天空の高みをめざして飛び立ちます。どこまでもどこまでも高く舞い上がってまいります。次第に意識が朦朧としてまいります。それでも夜鷹は渾身の力を振り絞って上昇し続けます。ここに、夜鷹の全存在がかかります。もう夜鷹は何が何だか全くわからなくなります。
そして、ついに一切の力が尽き果てるときがやってまいります。
夜鷹は、ついに天空から『落ち始めます』。
話は、その後、夜鷹に何が起こり、夜鷹がどうなったのかについては何も触れていません。
ただ、こう結ばれています。
そのとき、天の高いところに、青い星がひとつ出現して輝き始めたと。
絶体絶命の淵が極まって、渾身の力を振り絞ってそこを乗り越えようと試みてついに力が尽き果ててしまう。
これは、自分というものの営み、自我的意
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