[S4]認識中枢の根源的・本質的欠陥(分別知・認識の木)[S3]で宗教を論ずる枠組みができたところで、今回から早速、そのうちの①『 認識中枢の根源的・本質的欠陥 』の問題に入ることにする。
この、我々の『認識中枢に根源的・本質的欠陥がある』という事実は、我々において認識されたものではなく、超越者において始めて認識され、我々に示されたものである。
本来的機能それ自体に欠陥をかかえた認識中枢は、自らに欠陥があるということ、そしてその欠陥とはいかなるものであるか、ということを自ら認識することはできない。
しかも、ここが重要なのであるが、我々の欠陥のある認識中枢は、超越者によってそのことが示されてさえも、なおその真の意味を『通常は容易には』認識することができない。これは、他に類例をみない、極めて特殊固有の、ある意味では致命的といっていい問題をはらんでいる。そうであるからこそ、問題は、まさに『根源的・本質的』なのである。そして、そのことが、この問題の根本的解決のために、『超越』が必要である、ということと表裏の関係をなしている。
《独り言》本文で、『通常は容易には』と表現したところは、『全く』・・・できない、とまで、 言い切るのが正しいのか、本文のように言うのが正しいのか、私には、 明確にわからない。 ただ、どちらかであるのは、確かであり、いずれにしても私の理解の筋道は 変わらない。
重要なことなのでもう一度要約すると、認識中枢の欠陥というものは、その欠陥を超越してみ
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