劇評「幕末純情伝」


Motherf×cker、英語圏でよく使われる悪態だ。
劇評としてはこの一言で終わってもいいのだが、それでは身もふたもないから少しその理由を書いておくことにする。

春をひさぐ母親の、その生業(なりわい)の寝床の後ろで、息子の少年が母親の裸の尻を押すのだそうである。つまり息子が母親の商売を手伝っているという光景なのだ。これは登場人物の一人である高杉晋作だったか誰だったか忘れたが(この際誰でもよろしい)、その悲惨な少年時代を長々と涙ながらに語ってみせるせりふに出てくるものである。性交中の母親の尻をどうやって押すことができるのか、その姿勢は実に想像しにくい。とっさに頭の中でやりくりしてみたがとっても難しかった。
想像しにくいということは、その表現に嘘があるのだ。嘘と気付いていたかどうか、ともかくいかに惨めな少年時代だったかを表現したいために、ここは嘘があっても何でも勢いだから過激に語らねばと思ったに違いない。この底には、世界(世間といってもよい)に対する怒りであり「恨み」がある。どうだ、これだけひどい目に遭ってきたのだぞ!といっている。
しかし、ストリップ小屋のコントでもあるまいに、新橋演舞場でこういう話を聞かされると正直なところきわめて恥ずかしい思いがする。僕自身、公序良俗という点では常識よりもはるかに寛容だと思っているが、これは限度いっぱいだった。無論、規制しろなどという気は無い。ただ、不快な思いをしたのは僕だけだと願うばかりだ。

もちろん、これだけでも十分Motherf×ckerにふさわしいのだが、全体としてやっていることが単なる思いつきで支離滅裂、国家論も戦争観も憲法論やデモクラシー、フェミニズムに至るイデオロギーのような議論も錯乱の極み、一切合切男と女の愛情に還元するという乱暴な話では、評価に値するような舞台ではなかった。

観劇記録からどうして落ちたのかわからないが、1989年のパルコ劇場、初演は確かに見ている。沖田総司が実は女だったという想定は、意表をつく思いつきで、まだ二十歳そこそこの平栗あつみが主役

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劇評
2008/12/16




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