必読書150の時代錯誤必読書150 著者:柄谷行人 浅田彰 岡崎乾ニ郎 奥泉光 島田雅彦 すが秀美 渡部直己
帯に「これを読まなければサルである!」とある。この本を本屋で見て、バカな連中がいるものだと思っていたらWeb上では話題になっていると分かった。必読と上げられているのは、プラトン、アリストテレスからマルクス、他に日本の思想家など人文科学50冊、海外文学と日本文学が50冊、加えて参考テクスト70冊が上げられている。(後ろにリストをつけておいた)
昔「世界の名著」という全集があってずいぶん売れた。小振りだが厚みがあって箱入り、立派なものだった。中央公論社の懐は大いに潤ったが、日本国民の教養レベルが上がったとはついぞ聞いた事がない。それもそのはず、あんな小難しいものを五十何巻も読めるはずがない。読んだところで中身が分かるものでもないし、分かったからそれがどうしたというものだ。売れたのは応接間の本棚を飾るのにちょうどよかったからだ。客に見せてこけおどしをやろうという悪しき教養主義がはびこった時代である。高度成長とは一面そういう事でもあった。
集めたものの大半は、岩波文庫に入っている。ほとんど古典となっているもので、読まないよりは読んだほうがいいに決まっているが、この連中の選び方の安易な事が露骨にでている。つまり、岩波教養主義といえばいいのか、「世界の名著」主義といえばいいのか、頭の構造は岩波茂雄あるいは文明開化の時代とたいした違いはないように思える。つまりこれは古典的なエリート養成の方法論に何の疑いも持たず従っただけの事である。昔の旧制高等学校の生徒なら喜んで丸暗記でもしただろう。後で自慢出来るからだ。しかし、自慢の種を教える事ならサルでもできる。
今ごろこんなことをやるとは、現在がどのような時代であるかの認識が、全くない事の証左である。さすが、1991年の湾岸戦争が始まろうとしているときに、押っ取り刀でやってきて「戦争反対!」と叫んだ連中だけの事はある。何故反対かといえば、よく聞こえない声で、平和憲法があるからだとのたまったのである。古今東西の古典で頭が充満している日本の知識人のレベルとはこんなものだ。まあ、古典を勉強するよりは中東の歴史を勉強したほうがいいのではないか、とその時はあきれてしまったが・・・。
この連中は近畿大学の教師らしいが、学生相手に「これを読まなければサルだ」などと脅している。こういう浮世離れした連中に「サル」だと言われても、あまり気にしないほうがいいと学生諸君にはいっておきたい。しかし、聞き捨てならないのは、自分の教え子を取りあえずサルだと思っているらしいことだ。サルだと思われる節があるのかないのか、とりあえず、かわいそうに、教師にサルだと思われているとは。大学生の年ごろは、妙にませた若者もいるにはい
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